ピアニスト

9 足踏み

 長いバンド生活の中で、一度だけビッグバンド(私達はフルバンドと言っていましたが)に在籍した事があります。このバンドは仕事の形態も様々で、ダンス・ホール、コンサート、テレビ、営業、米軍キャンプ、何でもやりました。

 地方に出掛けることも多く、夜行列車で熊本とか、朝6時上野駅公園口集合、バス移動で全員何処かへ連れ去られる、というのもありました。夜行列車熊本は先輩諸氏のバクチで寝られず、朝10時ごろ入った会場で仮眠、一日中眠かったことしか覚えていません。在籍したのはほんの数カ月でした。
 不自由な時間が多いことに耐えきれず、箱バン者にすぐ戻ったのですが、このバンドでの経験も中々のものでありました。


 旅先でのことです。
 地方都市の駅からバスに揺られて数時間。山を1コか2コは越えたかもしれません。普段、行くことはないであろう町(村?)に私達は辿り着きました。町ぐるみの催し物のゲストで、メインは演歌の女性歌手だったように記憶しています。
 会場は小学校の中にありました。その講堂は教室より幾分広いものの、コンサートをするには少し狭いのではないかと思われました。狭いながらも、聞きに来る人たちの期待が窺えるような、手作りの飾り付けもバンドスタンドの用意も出来ていました。後は本番を待つだけのようです。

  リハーサル前に、力自慢のメンバーが呼びだされました。(要するにでかい人たちですネ。私はか弱いサックス奏者ですから呼びだされません。)
 音楽室から講堂にピアノを運ぶ仕事が残っていたようでした。

 これが大変なのです。今でこそバリア・フリーなどと言ってますが、学校の構造を思い出してみるとよく分かるはずです。当然のことながら、ピアノが自由に行き来できるようには作られていません。段差もやたら多く、まず戸を全部外すことから始めなければいけないのです。その上、廊下の幅もぎりぎりです。下手をすると、壁とピアノの間に挟まって死人が出たりします。

 大騒ぎの末、やっと講堂の側にピアノは姿を現しました。後はみんなで持ち上げて1メートルぐらいの高さの講堂の窓から入れるだけです。怒号が飛び交いました。「だからよっ、そっちを上げてよお!!」「上げてんだよ!」「あれっ」苛立つ声も聞え始めました。不穏です。ミシッ、バキッという音も聞えたような気がします。

 入らないのです。
 どうやっても、どんな角度にしても。
 大変です。
 その時、バンドにはギタリストはいませんでした。スリー・リズムです。ウッドベースです。やがて、疲れ果てたメンバーは無口になり、平身低頭で謝る主催者の方とバンマスは結論を出しました。
「今日は、楽器がないのだから休みだな」と、内心ほくそ笑んでいたピアニストの顔は、その結論を聞いて青ざめました。

 さて、本番。何時もピアノのある場所には、可愛らしい足踏みオルガンがチョコンと置かれていました。悲しい表情のピアニストが向かいました。

 昔ながらのイチとお、ニイとおの演歌の歌伴が始まりました。演歌歌手の方達は、そういう状況でも怯むことなく自分の歌を歌いきる強さを持っています。その日の歌手もそうでした。講堂いっぱいの客を前に、見事ではありました。

 後の私はと言えば、、、、。
 ブラスが鳴っているときはいいのですが、リズムだけになったときが堪りませんでした。ウッドベースとドラムと足踏みオルガン。
 ブーワワ、ブ-ワ、ブーワワ、ブ-ワ、。「オドレ、なめとンのか?」という音です、、。
 その上、足で思いきりエアーを送り込む音。

 合わせて、ブーワワ、スカブワ、スタパタ、ブーワ。
 笑いをこらえつつ、「ううっ、なんてシュールなんだ」と涙ぐんでおりました。

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