3 たまり場
新宿の歌舞伎町に、夜な夜な仕事帰りのプレイヤー達が集まるジャズ喫茶「ポニー」という店がありました。ジャズメン、箱バン者、ラリパッパ者、基本的にジャズに毒されて道を誤った者たちが集まるクールな場所でした。
ラリッッパ者とは、その頃一部で流行っていた睡眠薬の常習者です。ハイミナールはその代名詞でもありましたが、知っている人は古い人でしょう。シンナーよりは格が上とされていましたが、似たようなものです。
テーブルの上にはコーヒー・カップとシュガー・ポット。その間にある何やら白いものは、よく見ると砂糖の山です。砂糖を入れたいが、震える手でカップに運ぶ前に殆どこぼしてしまう繰り返し。何をやっているんでしょう?
その者は勝手にやっててもらうことにして、、、、。
私は小倉で知りあった人に書いて頂いた、同郷の先輩西川喬昭さん(Ds)への紹介状を胸に「ポニー」を訪ねました。住所も電話番号も解らないけど、ここに行けば必ず会えると言われていたからです。
会えました。そして、仕事はいとも簡単に見つかりました。「ねえ、ねえ、このボウヤがさぁ、サックスの仕事探してんだけどさぁ」
遠くから「それだったら、、、、、、、、、」の声。
で、箱バン者はスタートしました。客同士には、ジャズという共通の物を目指しているという事もあって、不思議な連帯感さえありました。言ってみれば、そこは仕事場外の「楽屋」でした。
キャバレーの楽屋は、大体困った場所にありました。店を造るときに、経営者の頭の中にあるバンドはステージ上なのです。オープンしてから、楽屋が必要なことに気付くケースも珍しくありませんでした。酷いときは、通用口の階段で休憩というのもある始末です。
そういう風でしたが、どんな窮屈なところに押し込められても、若い頃は全然苦になりませんでした。それよりも大切だったのは、そういう場所で皆とする話。殆どは音楽のことでしたが、誰かがやったヘマ話、噂話、話題は尽きることなく、よく笑いました。笑い疲れてステージに上がったことも度々でした。
何年間か過した、このステージと楽屋は、まるで「学校」の様でした。