x3 リハーサル
ステージの仕事に欠かせないのがリハーサル。
念入りなチェックをしつつ、何度も繰り返し演奏しながら固めていくというのが基本。何日にもわたって続ける場合もありますし、諸般の事情で1回コッキリなんてのもあります。
諸般の事情系は外国からの歌手、いわゆる外タレと呼ばれている方達などのステージに多く、ちゃんとしたスタジオでやらなかった場合さえあります。ちゃんとしないスタジオとは何か?
それはホテルの広い会議室。帝国ホテルだったか、ホテルオークラだったかは今となっては記憶も定かではありません。76年「スタイリスティックス」のツアーです。 リハーサル前に彼等のテープを何曲か聞かされていました。
私はてっきり女性がリードを取っていると思っていましたから、坊っちゃん顔の大男がいきなりファルセットで歌いだしたときは本当にびっくりしました。会議室に彼の艶やかな歌声が響き渡り、バリトンサックス担当で急遽雇われたサックス奏者(私です)の口はアングリ、しばらく吹くことを忘れました。
それより以前74 年のフレダ・ペインのリハーサルは米軍キャンプ内の公会堂のような場所でした。何れも専属バンドのリズム・セクションなしで、日本側から参加するホーンだけでのリハだったように記憶しています。フレダの場合は、彼女もいませんでした。
「家に帰ってママのおっぱいでも飲むか?」
通訳のおねえさんの声が意地悪く響きました。
フレダの仕事には、黒人のでっかいオヤジがピアニスト兼コンダクターとして同行していました。時々、映画「愛と青春の旅立ち(邦題は野暮デス)」の教官のように怒鳴るオッサンでした。
「オックラホマはホモばかり!!」てな感じです。
ツアーが続き、僕等と彼はオヤジと息子達のようにもなり、まったく好人物だったのですが、通訳のおねえさんのなにしろ無表情でつまらなそうな直訳が僕等の神経を逆撫ですることもありました。
この仕事の最終日、このツアーの日本側プロモーターと思しき方達に向かって、オッサンが「フィニッシュ!!、フィニッシュ!!、オンリービジネス!!!」と凄い剣幕で怒鳴っているのを見ました。相手はニヤニヤと薄ら笑いでしたが、余程腹に据えかねることがあったようでした。彼らは僕等の目を気にしたのか「飲みに誘っただけなのにな」などと誰に言うでもなく言い訳をしながら立ち去りました。どうも人的な問題が多い仕事でした。
しかし、フレダの歌は素晴らしく、青山にあった「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」で歌った「Rainy days and Mondays」は正に絶品でありました。オッサンのピアノ伴奏だけで歌った姿が、どういうわけかシルエットとして私の記憶に焼き付いています。

スティービー・ワンダーのステージリハは日本側の管、弦、ハープのみで進行しました。本番当日、リハでスティービーがステージに現れて、やっと一緒に音合わせするのかと私達は期待しました。
先ず、彼はピアノを弾き始めました。延々と続きます。2、30分も弾いたでしょうか。さあ、歌うんだなと思っていると、何やらスタッフがステージの袖で騒がしく動き始めたのです。登場したのは移動可能な山台に乗ったドラムセット。
本番で叩いたことは一回ぐらいだったと思いますが、次はドラムのチェックが始まったわけです。
結局、それが終わると控室にお戻りになって、本番まで一緒に演奏することはありませんでした。まあ、考えてみれば、彼らは何時もやっていることをやるだけで、その上にホーン、弦などが乗っかればいいのですから何も一緒にリハーサルする必要はなかったとも言えます。
それだけに、スティービーのヒット曲を生で聴きながら演奏する喜びもひとしおではありました。思わず隣のプレイヤーと顔を見合わせて笑ったものです。バンドスタンドから見える、オットセイのように身をくねらせる彼の後ろ姿はことさら印象的でもありました。大きなベースプレイヤーがコンサートマスターで、彼はインカムをつけていました。
気分次第で曲順を変えたりするスティービーに対応して、即座にバンドのメンバーに指示を与えるのが彼の役目でもありました。
ある日は突然スティービーが「What's going on」を歌い出し、「E、E!!」とキーを叫んだりしていました。

ディープなソウルシンガー、オーティス・クレイのリハーサルも面白いものでした。丸々一曲、必ず最後まで歌うのです。
通常、イントロ、エンディングの複雑な箇所などを個別に音出しして作り上げていく事が多いのですが、彼の場合は決してそういったやり方はしませんでした。
何か不都合なことが起きて途中で止まると、彼の口から出る言葉は毎回「フラム、ターップ」
最後の最後に誰かが間違っても「フラム、ターップ」です。(From top)
何度もそれが続き、疲れてきた私達は「最初からじゃないと歌えないんじゃないの?」などと憎まれ口を叩いたりしたのです。
せっかちな我々日本人には理解しづらい面でもあります。
例えばエチュードを練習するとき、必ず最初からやり直すというプレイヤーの話を聞いたことがあります。
また、とても早いテンポの曲を練習するとき、遅く始めて徐々に早くするというのも良くないというのです。
早い曲は必ず早いテンポで練習する。
遅く練習してテンポを上げていったとしても、それはメカニカルな問題がクリア出来ただけで、早さに対する適応はクリアしていないだろうというのです。
この意見、今の私にはとても正しい意見だと思えます。音楽の訓練の核の部分かも知れません。時間がかかったとしても、最初から速いテンポで訓練するということは、結果的に早さに対処している時間は圧倒的に長いわけですから、より合理的です。
テンポを上げていくやり方で、やっとの思いで早いパッセージが演奏出来るようになったとしても、その中に長い音符などをはさんだ瞬間、崩れるケースは多いのです。極論すれば、早いパッセージを演奏できることと速いテンポに対処できることは違うことなのです。
オーティス・クレイのリハーサルはその事に通じる何かを教えてくれたようにも思うのです。
82年、ブルースシンガー、リトル・ジョニー・テイラーとのツアーの仕事が舞い込みました。来日寸前になって、急遽シル・ジョンソンが代役で来日するということになりました。
驚いたことに、リトル・ジョニー・テイラーは戸籍がなく、書類を揃えるとしても、今回の渡航手続きにはとても間に合わないということでした。
アルバムを何枚も出しているアーティストだと言うのに信じられない話です。
シル・ジョンソンは "Come on Sock It to Me" (1967) などヒット曲が何曲もあるシンガーですから何も問題はなく、私はワクワクしながらリハーサルスタジオに向かいました。ギターの塩次伸二氏、ピアノのチャールズ清水氏なども一緒でした。
さて、シル・ジョンソン。紫色のスーツにアコースティックギターを片手にさっそうと現れました。「ワシがシル・ジョンソンだ、ふむ」と、少し見えを切ってみました風の登場。
さすがはソウルシンガー。
笑えました。
しかし、リハーサルに入って、私は笑えなくなり青ざめました。
事前に資料テープをもらってはいましたが、、。
「で、何からやろうか?」
それまで甘やかされて来たサックスプレイヤーは譜面があるものだと思っていたのです。他のメンバーはと見れば、全員曲を覚えてきている様子。
「ほら、僕等は譜面強くないから、、。」とは言うものの、良く考えればブルースシンガーが譜面など持ってくるわけもないのです。しかし、ブルースシンガーとは言え、スリーコードのブルースだけを歌うわけもなく、何が何だか分らなくなりつつも進行するリハーサルの間中、私は焦っていました。
当然、帰ってから譜面を書き、ステージに臨んだのですが、出遅れた感は否めず、何回かのステージは焦りを引きずったままでした。シル・ジョンソンとのギグは音楽的にも充実し、多くのことを学びました。
ヴォーカリストに引っ張られて、バンドが日に日にぐんぐんグルーヴしていくのを実感できた事は本当に素晴らしい経験でした。
リハーサル時の反省は仕事のやり方にも変化をもたらしました。どんな仕事の場合も、資料が送られてきた場合は全曲スコアに起すようにしました。すべてを把握することで仕事が随分と楽になりました。この経験はバンドを作る上で重要な作業にもなったのです。
マイルス・デヴィスのバンドに参加した何人かのミュージシャンが、リハーサル無しでいきなり本番のステージに上がったという話をしています。
デイブ・ホランド、チック・コリアなどがそうです。
チックは「コード進行だけでも教えてくれ」とメンバーに頼んだそうですが、誰も教えてくれなかったとか、、、。まあ、ハイ・レヴェルの演奏家ですから付いていけたのでしょうけど、何と恐ろしい世界かと思うのです。
サックス奏者イリノイ・ジャケーは、ドキュメント映画の中でバンドのメンバーにおっしゃっていました。
「演奏家は死ぬまでリハーサルだ」