14 東京コミックショー
「江戸時代の有名な俳人、松尾芭蕉は・・・。
さてっ、何時代の人だったでしょう?」
「ううーん」
「もう一回言いますよー。よく聞いて下さい。
江戸時代の有名な俳人、松尾芭蕉は・・・、
まつおばしょーはっ!!
さてっ、何時代の人だったでしょう?
どうですか?よく考えて下さいよ」
「うーん、ううーん」
「何を気張ってんですか?分かりませんか?難しかったかな?次の質問行ってみましょうか
では、第2問。ベートーベンの作曲した有名な月光の曲。
さて、誰が作曲したのでしょうか?」
「ううーん」
「もう一回言いますよー。よく聞いてねえ。ベートーベンの作曲したあっ、有名なげっこおのきょく!!。さて、誰が作曲したのでしょうか?」
「うーん、・・・・・・・・・ううーん、、、、、、、、、、、あっ!」
「おっ」
「えどじだい!!」
「およっ? んナ、ばかな」
これは他愛のない漫才の1節ではありますが、何故かはっきり覚えています。
(今は知りませんが)昔の歌謡ショーには、玉置広さんのような名調子の専属司会者がいる場合もありましたが、漫才師が司会者と前座を兼ねることも多かったようです。初めての旅先での歌謡ショーもそうでした。
名も知らぬ漫才コンビの絶妙の間が何とも可笑しく、30年以上を経た今も、はっきりと思い出すことが出来ます。
キャバレーなどのショーでは漫才、声態模写、奇術などを色物と称していました。
ショーのバックで演奏する必要がほとんどなく、後で笑っていればいいという事も大きかったのですが、私はその色物の芸人さん達が大好きでした。
早野凡平さんは、「帽子」の芸でテレビなどでも活躍されました。帽子と言っても、円形のフェルトの中央に穴が開いているだけのものを変形させて様々な形を作るものでしたが、まさに名人芸でした。
この方の語り口というのがまた独特でした。
何となくボソボソとお話しになるのですが、突然客席に向かって「ハイ、皆さん、御一緒にどうぞ!はぁやぁのっ、ぼぉんぺい!!はぁやぁのっ、ぼぉんぺい!はぁやぁのっ、ぼぉんぺい!」とまるでロックスターの様に煽ったりするのです。
客席は一瞬白けたようになるのですが、お構いなく激しく続けるものですから、やがて「そっ、そうかな」と巻き込まれるというわけです。
一回だけストッキングの芸をされたことがあります。帽子と同じようにストッキングを使われたのですが、結局短期間でおやめになったようでした。
覚えているのは、白いストッキングを被って「白人」、黒いものを被って「黒人」、最後に赤いものを被ると客席から「赤人かァ?」。
「そう思うでしょ?違うのネ、これが。 にんじん」
確か、これが一番受けたようでしたが、、、、。
早野凡平さんの訃報は本当に残念でした。
ラッキーセブンのポール・牧さんは後年「指パッチン」が異常に受けて、指パッチンの人になった感もありました。しかし、本領を発揮するのは、当然のことながらコント(漫才)を演じる時でした。
ポール・牧さん演じるキザな男は最高でした。
ある夜のショーでステージに現れたのはポールさんだけでした。
「皆さんに、まずお詫びを申し上げなければなりません。と申しますのも、事情がありまして相方が今夜ここには来ておりません。お叱りのお言葉はもっともでございますが、このステージに上がったからには、芸人として何か芸の一つもするということで納得していただかねばステージを下りることも出来ません。何でも演らせていただきたいと思うのでございます。如何でございましょうか?」
客席から「何でもやるってぇ?、オメェ、ホントかよお」
「はい、何でもお申し付け下さい」
「おおっ、大きくでたネ、このヤロは。ホントかよ?」
見れば奥の方の客席に肉体労働者っぽい酔客。
「じゃあよっ、オメェ、口から屁でも放りだしてみやがれってんダ」
「そっ、それは、、、」
「なっ、いい加減なこと言いやがって、それが駄目ならケツから蛇でも出してみろってんダ。バァロォ、テメェ」
このやり取りの後、男がステージにまで上がってくるのですが、はちまき姿の酔客、実は相方(関武志さん)だったのです。キャバレーに酔っ払いは付き物で、時々度の過ぎた人の起こす悶着もありましたから、事情を知らずに見ていた私は本当に驚きました。
酔客を相手に、たかだか30分と言え、飽きさせることなくショーを続けるのが大変だった事は間違いありません。
小さなキャバレーのステージでの芸人さん達のちょっとした工夫に、私は何時も感心していました。
そんな中でも「東京コミックショー」は圧倒的でした。あの「レッドスネーク・カモン」です。シンドバッドの様な衣装のショパン猪狩さんのおとぼけトークには何度も笑わされました。この人達のショーには行く先々で遭遇しました。
何度も何度も「レッドスネーク・カモン」を聞き、台詞を全部覚えていたほどです。演しものは他にも幾つかありましたが、やはり「へび」が出ないと始まりませんでした。
「エーッ」と思ったのは米軍キャンプの将校クラブでお会いしたときでした。猪狩さんは英語が堪能だとは思えなかったし、いつもの調子のブロークンで「大丈夫だろうか?どうするんだろう?」と心配したりしました。
全く余計なお世話でありました。ハーレムパンツを思いきり胸元まで上げてバレリーナのように踊りながら登場。ステージ中央まで来てお腹をへこませるとパンツがズルッと腰まで落ちる。それだけで客席は爆笑の渦。後はいつも通りでした。
「お客さんの好きなほう出すよ。レッドスネーク?グリーンスネーク?」
「レッド」
「あら、お客さん、今日は燃えてんのね。」
レッドスネーク、カモン。あれッ、なんだ、お前は緑だろ。お前、色盲」
「こないだのお客さん、赤出せって言うから赤出したらチップくれたなぁ。・・・イヤイヤ冗談冗談。・・・・冗談(と)言ってもくれたお客さんいたなァ」
「お次はキングコブラ」ピーヒョロロロ。「勇敢にも、、、勇敢にも朝刊にも。(尻尾から出てくる)
あれっ、お前、それは逆さま。おおーっ、キングコブラ。北海道はニシン場育ち。ぐっとサングラスが曇ってる。」ゴシゴシとサングラスを拭く仕草。
笑いが途切れることはありませんでした。
ブロークン英語の少々混じったトークと仕草、表情だけで受けてしまう凄い芸ではありました。
何年か前に図書館である本を見つけました。
「レッドスネーク、COME ON」ショパン猪狩著
(三一書房刊)
続編が「グリーンスネーク、COME ON」
私の好きだった芸人さん達の芸には、それぞれ個性的な独特の間がありました。
私はこの人達と共に小さな箱の中で生きていました。
02.12/2