としちゃん


7 黛敏郎さん


 ブルー・コーツという名のビッグバンドが結成され、スタートしたのは昭和24年10月1日でした。その、ブルーコーツに在籍された方の話です。

 「へえー、君の誕生日ってのは、そりゃ、ブルーコーツと同じ日だよ。イヤア、、、
 そうかぁ。俺も歳をとるはずだよな、、、。いやいや参ったなあ」
 一緒に入った喫茶店で、S氏は私と同じ日に誕生したバンドの話を始めました。


「あの頃はね、本当にジャズが盛んでね、ほら、君も聞いたことあるでしょ? ビッグ・フォーのコンサートの時は、客の列が日劇を三周もしちゃってね。

 僕等がオープニングでMoonlight Serenadeをやるんだけどさ、緞帳が上がるタイミングでバンドは下からこうせり上がっていくわけだよ。場内びっしり埋め尽くした客の顔が見えたかな、と思った瞬間、もう凄い喚声でね。自分等の音なんか聞こえやしないんだよ。「ああ、日本から歌謡曲は無くなる」って本気で思ったからね。
ま、無くなんなかったけどサ。」

 そのビッグ・バンドのピアニストが、何かの事情で休むことになって、替りに来たのが音楽大学の学生「としちゃん」でした。「利口そうな青年が来たなあと思ったよね。僕とそんなに歳は離れていなかったんだけどね。」

 「としちゃんを凄いと思った事は何度もあるけどね。キャンプ(米軍キャンプ)で演奏しているとき、たまにくるリクエストでさ、×××××××× っていうのがあったんだよ。その曲はさ、ピアノが重要でね。鐘の音みたいなピアノのフィギュアがあって、キャン、キャン、キャンキャン、キャキャってさ。難しいんだよ。だけど、リクエストする方はそれが聴きたいわけだよねっ。 
 それでね、ある日リクエストが来たんだけど、としちゃんは譜面を整理しない人でさ。誰かが揃えてあげてもすぐ順番が無茶苦茶になっちゃうんだよ。
 大概の曲は一カ月ぐらいで覚えてたからいいんだけど。その曲は滅多にやんないからさ。
 で、例によってとしちゃんの譜面探しが始まったんだけど、なかなか見つからないわけよ。もう、としちゃん、中腰で譜面の束ひっくり返しているんだよ。
 その内、リクエストした将校が「はやくやれ!!」って怒鳴り初めちゃってさ。 これ以上待たせるとマズイから、バンマスも諦めて棒を振り下ろしたんだ。「ええいっ」って感じだよね。
 僕等も気が気じゃないんだよ、その場所はすぐ来るからさ。「ああっ、やばい」ってさあ。メンバー全員祈るような気になってね。 
 で、相変わらずとしちゃんバタバタしてるんだ。

 だけどさ、その場所に来ると、左手は譜面探しながら、そこだけ右手で軽く弾いちまいやがったんだよね。それでまた譜面探しね。
 なんて奴だ、みんな笑ったね。メンバー全員、ため息が出たよ。 怒鳴ってた将校は何も知らないんだけどね、「ざまあみろ」って思ったもんね。

 別のクラブでやった時、ピアノのチューニングが狂っててね。
 半音近く低いポンコツだったんだよね。「これじゃ、今日は出来ない」っていう騒ぎになってね。バンマスは困って他のクラブからピアノを調達できないか、掛合っていたけど、そう簡単にピアノは調達できないよ。

 時間は迫ってくるし、みんな途方に暮れていると、「皆さん、今日は管楽器の方は管を入れるだけ入れて、ベースの方も出来るだけ高くチューニングして下さい。何とか頑張ってみますから。」としちゃんが言うんだよね。

 何だか分からないけど、それでステージ上がったんだよ。ヤッコさんその日一晩、全曲、半音上で弾いたよ。驚いたね。」

 その後、としちゃん(黛敏郎さん)は作曲家として日本の楽壇に多くの足跡を残され、「題名のない音楽会」の司会者としても、長い間活躍されました。

 彼がバンドを去る頃に家を訪ねたS氏は、青白い顔をした先客の若者を紹介されました。「僕の友人で武満君です。」
 ピアノの試奏に見えていたらしいのですが、S氏は後になって「凄い現場に居合わせたもんだ」と思われたそうです。

 そりゃそうです。若き日の2人の天才ですよ。


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