x2 弾き語り
80年代半ばの事です。ほんの数回、アルゼンチン出身の女性歌手のステージを手伝いました。コンサートではなく、小編成のバンドでのディナー・ショーでした。
ディナー・ショーでは、客入れ前のテーブルセッティングなどの準備のため、リハーサル終わりから本番までに2、3時間の待ち時間があります。この時間、特に何をするでもなく退屈な時間を過ごすのですが、本番前ですからあまり気を抜くことも出来ません。外に出て気分転換、控室で読書、ヘッドホンで音楽を聴く、他愛の無い話で時間を潰す、人により様々です
九州のある都市でのことです。その日もリハーサルが終り、何人かは外に出掛け、控室に残ったのは私とその歌手だけになりました。
共通の話題がないのですから、特に話す事もなく、静かな時間が過ぎていきました。何か話題はないかと考えていた私は一つ思い付きました。その頃よく聴いていた、同じアルゼンチンの歌手、ヒナマリア・イダルゴの話を彼女にしてみたのです。
返事はすぐに返ってきました。
「何を聴いたの?」
「フォルクローレを歌っているもの」
彼女はにっこり微笑んで、フォルクローレという言葉は大きな意味での「音楽」のことで、歌曲はカンシオンと呼ばれ、広いアルゼンチンでは、その地方によっていろいろな呼び名があるというような事を教えてくれました。
(ここらの記憶は正確でないかもしれません)
曲調も様々で隠れた名曲も数多くあるということでした。
「じゃあ、南の方から歌ってみようか」

手にしたギターをつま弾きながら、彼女は歌い始めました。それは素朴な曲でした。小さく拍手をしました。「素晴らしいね」
彼女は、微笑んで「まだいっぱいあるからね。少し上の方にいくよ」
アルゼンチン国内を少しずつ北上していきます。
次の曲も、その次も、素晴らしく、私は彼女の歌う世界に引き込まれていきました。
ステージではあまり歌う事のなかった、祖国アルゼンチンの曲の数々が、殺風景な控室に流れ、客一人だけのミニ・リサイタルは続きました。彼女は歌っているうちに「あ、これも歌わなきゃ」というふうに、思い出しているようでもありました。
ショーのプログラムでは聴くことの出来ない曲が続きました。それは新鮮で、私は彼女の本当の力を感じ始めていました。
物悲しく素朴な旋律に隠された、自然な力強さが聞こえていたのです。
「シバの女王」、「アドロ」などとは異なる力を放っていました。
「バンドはいらないな」と本当に思ったほどです。
どのくらい続いたでしょうか?
スタッフが打ち合わせの為に入ってきて、その演奏会は終わりました。あのまま歌っていたらと、今でも残念に思います。
その後、彼女(グラシェナ・スサーナ)に会うことはなく、どういう活躍をされているのかは知りませんが、テーブルを挟んで聴いた歌声は貴重な思い出になりました。