17 ドンバ
「すいやあーっ!!」
博多でのバンド生活が始まったころ、ドラムの先輩に誘われてちょっとお洒落な店で食事をしました。勘定が終わって外に出るなり先輩は言ったのです。
突然何を言いだしたのかと思いました。理解不能。
お構いなく先輩は繰り返しました。「すいやーっ、いや、アンだけ食って×××円。スイヤアーッ」
そうです。感動のあまり「安い」と先輩は言いたかったのです。
バンド言葉は高校在学中のアルバイトの頃から幾つかは聞かされていました。1、2がツェー、デーとなったり、ジャズはズージャでコーヒーはヒーコーなど。ほとんどが名詞。
「すいやーっ」は驚きでした。そんな言葉までひっくり返さないでも良いのではないかと抗議する声もなく、ドンバの先輩方は次々とバンド言葉を開発され、進化させていったのです。
中にはどういじっても案配の悪い言葉もあります。そういう場合は「不問に処す」という具合ではありました。
例えば、多くの楽器が被害に遭いましたが(栄誉に輝いたという見方もある)、「サックス」は上手く変換できませんでした。
「トランペット」も変換はできませんでした。
しかし、これは「らっぱ」という呼び方にすることで変換の不備は回避され、しかも念の入ったことに「ぱつら」呼ばわりされる先輩もいました。「トロンボーン」は気の毒にも「ぼんとろ」です。金海物、低音まぐろ「ぼんとろ」って、あんたそりゃぁ。

博多で演奏していたビッグ・バンドのバンマスはかなり高齢の方でした。楽器は演奏されず、かと言って指揮台に立つ事も稀でした。たまに指揮台に立ってショーの指揮などされましたが、どういう理由でそういう形態になっていたのかは知る由もありません。
私が入る以前の話です。
先輩によれば「そいが、たまにしか来んケンが舞い上がってしもて、言わんでもヨカことば言うとぉ。だいか(誰か)偉か人でん来とって、よかとこばみしゅう(いいところを見せようと)て思ったちゃろね。譜面ば見とってさ、Trombone solo て書いてあったとばい。普通は一々言わんばってんが、そん時ゃノリノリやもんねぇ。
いきなり、ソロンボーン・トロ!!やもんねェ。
恥ずかしかぁ。
そいも大きか声で。
吹き出してしもて(しまって)管は吹けんごとなったと。」
トロンボーンで思い出して話が横道にそれた。
それで、バンド言葉の続き。管楽器は上の三つで大体事足りるのです。この呼び名の主な目的はプレイヤー個人に向けて使われる符号のようなものですから。
「ラッパの伊藤がヨ」とか「ボントロの中西、どこに行った」とか。フルートだけという人はドンバの世界には稀で、サック奏者の持ち替えでしたから変換もありませんでした。第一「トーフル」じゃあ英語の検定試験みたいで収まりも良くないし。
リズムセクション。
ベースは「スウベ」ギターは「タアギ」で問題なし。ドラムはトランペットと同じ要領で「たいこ」
問題はピアノ。
これは「ヤノピ」なのです。
単純に考えれば「ヤ」はないのですが、「アノピ」を選択しなかったところが先輩方のセンスでしょうか?
弦楽器は総称して「オリン」。
これは新しい手法ですネ。省略しただけ。
弦にはヴィオラもチェロもありますが、それが単体でということは先ずないから「オリン」で済ませてしまったところに興味のなさも感じられます。
「ローチェ」などという人もいましたが少数派で、ましてや「オラヴィ」は聞いたこともありません。
普段使う言葉は、ありとあらゆる使い方をされる方もいて書ききれるものではありません。単純に逆さ言葉だったり、分断して逆さにしたり様々でした。
「あの店のシーメはズイマ」とか「このケエサはマイウ」など。
2文字の言葉は逆さにして延ばすパターンが多いようです。
頻繁に使われていたのは何と言っても数でした。
C、D、E、F、G、A、H、8、9 ドレミファソラシドのドイツ語読みで始まるはずが英語も混ざってかなりいい加減ではありました。
ツェー、デー、イー、エフ、ゲー、アー、ハー、これで7までは大丈夫。
ちょっと工夫して8はオクターブ。
9は工夫を諦めていさぎよくナイン。
ツェーまんナインせんオクターブひゃくゲーじゅう
は19850ということになるわけです。
面倒臭いことではあります。
私の2世代前ぐらいの方達が最もこの言葉を愛用されたらしく、こんな話を聞いたことがあります。
ある日、皆で車に乗って、バンドは長野方面へ仕事に行きました。道も渋滞することなく快調で、時間的に余裕も見えてきたので、一行は道路沿いにある真新しい蕎麦屋で食事かたがた休憩することにしました。
それぞれが思い思いに注文も済ませ、本場の蕎麦を食べることを楽しみにしていました。しかし、出てきた蕎麦はとても不味かったそうです。
開店したばかりのようでもありましたが、あまりの不味さに皆の不機嫌は頂点に達し、ここぞとばかり不満をぶちまけたのです。当然、ドンバ言葉で。
「何だよ、このばあそ、とおしろじゃないの?ずいまぁ。びーのしてんじゃん」(何だこの蕎麦は。素人か?不味い。のびてんじゃないか)
とか何とか、、、。
で、お勘定。
店主、曰く。
「えー、ざるそばの方はエフ百ゲー十、、。」
「!!!・・・・・・(^^;)」
もしかすると転職組?
この話が嘘か本当かはわかりません。しかしながら偶然にも同じような状況を経験したことがあります。やはり信州の近くでした。「信州そば」が食べたくなった私達5人は真新しい蕎麦屋になだれ込みました。
ここで出てきた蕎麦は凄まじいものでありました。箸で蕎麦をつかむことが出来ないのです。つかんだと思うと切れてしまうのです。「つなぎ」がどうだとか言う問題ではなく、そのうちどんぶりの中の元蕎麦であったものはチリヂリの輪ゴムの切れ端のようになり、スプーンでもない限り口に運べない有り様になってしまいました。
たぶん、何の修行もなしにいきなり開店した恐るべき無謀な蕎麦屋に飛び込んでしまったようでした。ここまで来ると誰も何も言わず、不満より怯えの方が先に立ってしまうのです。とにかく一刻も早くこの場所から逃げたいと全員が思ったことは間違いなく、密かにじゃんけんが始まりました。
勘定係です。負けた人が気の毒な店主と対面して勘定を済ませる事になったのです。 負けた者はお釣りのないように金を集めるのに必死。それを横目に外に飛びだしたメンバーは言葉もなく、大きな深呼吸をしました。
あるバンドで一緒だったピアニストMとベーシストHは大学の同級生だったらしく、仲が良くいいコンビでした。音楽的な言い争いはありましたが、普段はよく一緒に酒をのみに行ったりしていました。
ある日Kが私にこう言いました「あいつさぁ、俺がデー千借りてんの忘れてやんの。ウヒヒヒヒ。また借りちゃおうかな、ヒヒヒ。ここだけの話ィ。」
「何時のこと?」
「もう半年ぐらい経つな。時効だな」
私は面白がって相方のFにさり気なく話しました。
「君ら仲良いなぁ。金の貸し借りも多いしな」
「それ、それ、ここだけのなしはナっ。
あいつバカだからさ、俺がツェー万借りてんの忘れてんだよ。ウヘヘヘヘ。何回も借りてると分んなくなっちゃうんだよナ。ウヘヘ、かりもう、かり儲。」
03.6/01