コーヒーとヘルメット


15 Coffee Time


 70年代初め、ジャズ喫茶はどこにでもあった。新宿だけでも一体何軒あっただろう。広い店、10人ほどで満席の狭い店。どの店でも自慢のオーディオ装置が、大きな音で一日中ジャズを鳴り響かせていた。ほとんどの店の壁に大きいモノクロのジャズメンの写真がおごそかに掛かっていた。カラーではない事も大切なようだった。
 そのパネルを見ながら、激しいサックスの金切り声やらオドロオドロしたサウンドを聞いた。
店によって客層に幾分の違いはあったものの、どの店も大体コーヒー一杯で2時間ぐらい粘れた。
 コーヒー一杯で半日過す人もいた。

 世の中は混乱していた。繁栄と破壊が同時進行しているようにも思えた。ベトナムはまだ戦火の中にあった。新宿駅で学生達が暴れて駅構内を壊したりしていて、反米、反戦運動が時代の一翼を担っているようだった。ヘルメットにマスクの学生の集団は異様だった。毛沢東の影響も大きく、赤い豆本を持ち歩く友人もいた。
 一方で、新しい試みがあちこちで行われていた。演劇、音楽、美術。訳の分らないものも多かったが、訳が分かるものは「それはまずいんじゃない?」というようでもあった。
 コルトレーンは既にいなかったが、まだまだ大きい影響力を持っていた。ヒッピーがもたらした思想的なものも音楽に深い影響を与えていた。










 ジャズ喫茶はそんな時代の匂いを感じることのできる手っ取り早い場所でもあった。本当にジャズ好きが集まっていたかどうかは疑わしい。どういうわけか、身じろぎもせず読書する人をよく見かけた。ライブハウスの客席、最前列で読書する女性もいたぐらいだ。演奏している目の前の客が読書。何とも変な感じだった。
 コーヒーはサイフォンで丁寧に入れるお洒落な店もあったが、いつ入れたか分らないポットを暖めてセンブリのようなコーヒーが出てくる店もあった。
 それはそれで、「あり」だった。

 しかし 、このジャズ喫茶というのが一癖あった。客商売とは言え、客に対する厳しい注文があった。「会話厳禁」がそれだったが、そのことが店の中の雰囲気をことさら険悪にさせてもいた。
「ジャズを拝聴させていただく」という素直な態度で臨まなければならない雰囲気だった。あまつさえ、リクエストするということは暴挙に近いものさえ感じられた。  リクエストコーナーには「ジャズの事は何でも分っているからな。なめんじゃねえぜ、バァロィ。変なものリクエストすんじゃねえぞ、若造。こちとらアホに付き合ってるほど暇じゃねえんだからな。」と言わんばかりの(実際、顔は言っていた)男がいることが多かった。どうしてか解らないが、ジャズとかレコードに詳しくなると、その人にとっては詳しくない人が「下賎の者」になってしまうように見えた。何とも厄介な優越感が歪んで立っているようだった。
 恐る恐るリクエストして、笑顔で受けていただいたときなどは「ああ、良かった、良かった、気に入って頂けて、、。」と思う始末だった。どうして、こうも卑屈にならなければならないのか分らなかったが、必ずそうなった。
 それがいやで行かなくなった友人もいた。
 しかし、レコードを入手する事は簡単なことではなかったからよく通った。

 ある日、雑誌で見かけたLee Konitzの新譜をリクエストした。タイトルを覚えてなかったから「コニッツのォ、、、最近出たやつ。」とうかつにも言ってしまった。男はせせら笑うように言った。「出たって、何が出たんですか?」
 変なモノでも出たような言い方だった。ムッとした。
 その店は輸入盤がメインだった。日本の事情には疎くてネぇ、、。そんなニュアンスだった。(結局かけたのだから、知っていた癖にだ!!)

 2度と行かなくなったばかりか、その店で聴いた幾つかのアルバムはいやな記憶とともに嫌いになった。









 他にも店はあったから不自由するということもなかったが、その店ほどではないにしても多かれ少なかれ癖のある店が多かった。で、次第に足は遠のき、自分で買って聴くようになった。

 高田馬場には「すずや」と言う質屋があって、ここではレコードも引き受けてくれた。レコードを20枚ぐらい持っていき、その足でレコード屋に急いで新譜を買った。
 「すずや」という曲を書いても良いほどお世話になった。

 


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