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 スタジオミュージシャンには各々ギャラのランクというものがあって、毎年ある時期に申請期間が設けられている。値上げを希望する場合は申請し、レコード会社等との交渉、協議があって決定される。
 この何年かの状況は芳しくない。大きな理由は只一つ。CDが売れていないのだ。沈みかけているのではないかと思えるほどに業界は苦戦を強いられているようだ。

 CDは簡単にコピーが出来るようになった。カセットテープのダビングはまだ可愛いものだった。今や同じものを複製できるようになったのだ。勿論、違法だ。
 統計によれば1年間に世界中で違法コピーされるものは10億枚と言われている。恐るべき枚数ではないか。コピーをしたことのある人は多い。
「そんなに多くやったわけじゃない。」と誰もが言う。しかし、結果10億枚だ。

 僕はここでその違法性を説くつもりはない。モラルを問うレベルはとっくに越えている。コピーガード仕様のCDは音質面ですこぶる評判が悪い。
「そんなことに神経を使うより誰もが欲しくなるような良いものを作れ」と言う人もいる。どうなんだろう?良いものがないのではなく、買わなくてもすむから売れないという面はないのだろうか。 

 レンタルを許したことも大きい。幾らかの利益を製作者側に還元しているとはいえ、結局はCDを買わなくてもすむ状況を許したことは確かだろう。レンタル屋のレジの横には必ず販売用MDが山積みになっていて、「さあ、どうぞ。ダビングして下さい。」という風だ。著作権も何もあったものじゃない。

 ずいぶん前にアメリカから著作権団体の代表の様な方々が見えてレンタル屋の実態を視察した。彼等の出した結論は「No」だった。金銭的な交渉には一切応ずることなく、日本国内でのいわゆる洋楽盤はレンタル禁止となった。さすがだった。    

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 ポップス、ジャズはリアルタイムの音楽であり、その時代を反映する文化であることは間違いない。同時代に生きる人々に支持され、支えられ、育てられてそこにあった。僕等の時代で言えばベンチャーズ、ビートルズなどがそうだった。新しく刺激的で、まさに同時代の若者に届けられたメッセージだった。それは僕等が守るべきものだったのだ。
 ビートルズは世界中で熱狂的に支持され、チャック・ベリーなどから始まったロックが商業的に莫大な利益を生むことを証明してみせた。当然、同じような場所に立とうとする者、立たせようと画策する者がゾロゾロと現れた。
 リバプールの才能溢れる若者が作った音楽は一つの形となった。ビートルズだけが時代を作ったわけではなく、時代の流れは幾つもの可能性を示唆していたが、ローリング・ストーンズなどと並んで、彼等が圧倒的な存在感で時代を牽引していたことは確かだ。僕等はレコード屋で、その形から派生した夥しい数のミュージシャンと向き合うことになった。
 様々なスタイルのロックミュージシャンが現れ、音楽そのものよりも思想性が色濃く反映されたものも多く、あまりにも多い情報に僕等はゲンナリとなったりもした。確信犯的に巧妙に仕組まれたものも現れた。音楽は産業になった。僕等が支持し守るにはあまりにも大きいものになった。

 同じようなことがジャズでも起っていた。
 マイルスが電化すると、それを免罪符に多くのミュージシャンが語法を変えた。
 スタイルを追い求めるミュージシャンもいたが、アルバムから演奏者個々の声が聞き取りにくくなり、グループとしての表現が目立つようにもなった。巨大化した音楽産業に個人的なメッセージが呑み込まれてしまったかのようだった。
 多くの小売店がスーパーマーケットに押しやられた様子と似ていなくもない。
 それに、ジャズの巨人達は可能性をことごとく試し、あらゆる方法にチャレンジしてしまったようにも思えたから、後から現れる演奏家はその有り様が変わってきた。

 学校で歴史的な方法論を学び、そのデータを再構築するような演奏をするようになった。自分のスタイルを示さず、よどみなく流暢ですらすらと流れるように演奏されるものを聴いて、僕は何だかやり切れなくなることがある。全てが理路整然と整理された流れるラインからは個の音は聞えず、検品合格マークがちらつく。
 それは支持し守るものではなく、いかにも消費されるだけの物のように見える。原形となっているプレイヤーが見えすぎて笑えるほどだ。

 模倣は何等罪ではない。それを恥ずかしいことだなどと非難する気はさらさらない。コルトレーンそっくりに吹けたりすれば、それはそれで楽しいことに違いない。
 第一、人は皆周りを模倣しつつ大人になる。行動の大半は記憶の中から選ばれる。
周りから学びつつ社会生活を送る。まったく独自の人生なんてあるわけもない。
 しかし、だからこそものを創るとき人は独自でありたいと願う。
 映画「ラウンド・ミッドナイト」でデクスター・ゴードン扮するデイル・ターナーが言う。「最近のサックス奏者は皆先生が同じなのかな?」

 聴く側にも不思議な傾向があって、聴いて楽しんだりするのではなく評価する物になっているようだ。評論の対象としてジャズがあるわけだ。
 ばか馬鹿しい。それが情報過多の時代の成せるものだと思えば仕方ないことなのだけど、独り言に留めておいて欲しい。

 現在日本で安定して売れるものは、勿論幾つかのビッグアーティストと呼ばれる方々のものはあるのだが、実はゲームミュージックとアニメの音楽だそうだ。この分野に関しては製作費も多額で編成も贅沢だ。早い話、支持し守る人が多いということなのだ。実際、この手の音楽のコンサートを手伝うと熱狂的なファンの多さに驚かされる。その人達にとってCDを所有することはとても大事なことなのだ。

 CDが売れないのは若者が携帯電話に費やす金額が多いせいだとか、音楽を家でゆっくり聴くことよりも楽しいことが多くあるせいだとか、上にあげたようにコピーが横行しているせいだとか、諸説あるが本当のところは誰にも分らない。
 支持し適当に楽しんだりはするけど、それはいつも大量にそこにあるものであり、音楽産業は人々が守るにはあまりにも巨大化してしまった。
 人々から遠く離れ、レコード会社そのものが独り歩きしているようにも思える程だ。支持率の低下した産業は迷路に入った。
 CDはタイトル数が膨大になり、僕等の時代のレコードに比べて値打ちがかなり下がっていることだけは確かなようだ。


-03.6/29


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