12 まねごと
おおむね人は他人の動向が気になって仕方がない。動向たって、要するに噂話なのだけど、昔から誰が言ったのか「人の不幸は蜜の味」などと言う恐ろしくも哀しい言葉があるくらいに、不幸な事件に敏感なのだ。私はそんな風には全く思わない、と言う人。あんたは偉い。
で、そんなに偉くない人達は連日のようにテレビなどで様々な事件を知らされ、何となく好奇心を満たす。ご丁寧にドラマ仕立てで再現され、殆どのぞき趣味に近いものもある。
報道がどの程度の真実を伝えられるのかは分からない。受け手には判断する基準がない。CDセールスの数字はいい加減だという噂を聞いた事もある。真偽は確かめようもなく、僕らは情報を取捨選択するにはあまりにも無力なのだ。
昔、同級生が山で遭難した。鍾乳洞のようなところに紛れ込んで方向感覚を失い、出られなくなった。無事救出されたのだけど、その時の報道の混乱ぶりはよく覚えている。新聞、テレビのニュース、各局一斉に違う事を言っていた。
その洞窟の奥行きが短いもので30メートル、長いものは500メートルだった。
あまりの違いに驚いたのだが、実際にはそんなに深いところで助けを待っていたわけではなかったらしい。
だからと言って報道の曖昧さを非難する気などない。ニューソースとなった人の証言がまちまちであった事は紛れも無く、聞いた人はそのまま伝えたに違いない。
この場合、「遭難」「救出」が伝わればよく、細かいデータは大体のところで良かったらしい。第一、受け手はそんなことを気にしながらニュースを聞いてはいない。
災害の被災者の事を聞いて実感出来る筈もなく、死者の数を数える事で被害の大きさを伝え知り、もっぱら興味はそのことだけにシフトされる。
痛ましい事故も、いつの間にか犠牲者数の歴史的な順位を取り沙汰するようになる。その、まるで新記録を期待するようにグラフ化される被害の報道に僕らは徐々に慣らされ、ある部分が麻痺して行く。
無意識の内に被害新記録を期待するかも知れず、これ、怖い事ではないかと思う。
近年は微に至り細に至り事細かに調べ上げて、得意げに余計な事まで知らせる番組を見る事もある。犯罪者の親族の情報まで知らせるものには慣れっこになったし、被害者の家族にマイクを向ける無法ぶりも日常的になった。「そこまではいらん」と思う人も多いようだけど、「これが最近の傾向ですから」とばかりに、双方に何の意味もなく砂を噛むような思いだけだけが残り、しかもあっという間に忘れ去られる奇妙な時間潰しが続けられる。
酷いと思ったのは「生活の知恵」風の番組だった。「こんな時あなたはどうしますか?」ってな具合に進行する中でこういうのがあった。
「もし、車が水の中に突っ込んだら、どうやって窓を開けるか」
要するに水没した車のドアは水圧で開ける事は出来ない。じゃあ、どうやってガラスを破るかと言う事なのだ。
その後簡単に割る方法を教えたのだが、バカな話だと思った。一体どれだけの人の車が水没して窓を破らなくてはいけなくなると言うのか。ただ単に車の窓を破る方法を教えただけなのだ。あの場合、よく見かけるテロップ「これは熟練したプロが芸としてやっています。良い子は絶対真似をしないように」を入れるべきだったのではないか。「犯罪者の皆さんへ。これは緊急避難用の方法です。決して参考にしないで下さい」とかネ。
防犯のレクチャーは犯行手口の知らせにもなる。この場合、プロはここをこうやってこじ開けて侵入しますナンてことを解説するものだから、少し心得のあるその道の不届き者は大いに参考にして役立てる。
模倣犯が誕生するわけだ。かくて様々な事件が連鎖する。引ったくりが横行する事もあれば、自殺が続く事さえある。人は弱く、「例」がある事に勇気づけられ、行動を起こす引き金にする。
ここのところ騒がせているのがエアーガン。これは、報道する事で逆に煽っているような側面が見える。知らなきゃよかったものを、知らされたがために真似をしてみたくなったヤツが次々に現れる。
ニュースで「大変、大変。またエアーガンです」ってのが、眉をひそめながら語られるのだけど、「ニュースです!」と騒ぐ時点で何かおかしい。知らせない報道もあっていいのではないかと思うのだ。連鎖を生んでいる事には気付いている筈なのだが、止められないらしい。
それが無理なら抑止目的の道義的やらせはどうだろう。「先頃、エアーガンで人を撃った疑いで若者2人が逮捕されました。被疑者は〇日〇時頃帰宅途中のB子さんを車の中から撃った疑いで逮捕されましたが、当局では他にも余罪があると見て追求するようです」
画面には警官に小突き回されながらうな垂れる役者が映し出される。
無理か、、、、。
05.10/3