最初に自分の名刺なるものを手にしたのは27、8才の頃だった。品川パシフィックホテル30階のラウンジで演奏していたバンドで作って頂いた。青い箱に収められた名刺が珍しくも嬉しく、眺めてみては「うーん、名刺かぁ」と子供のように喜んだ。
だが、よくよく考えてみれば、名刺は相手がいなければ意味がない。
早い話、その若さでこんな職業だ。せいぜい友達に見せびらかして鬱陶しがられ、果てには無理矢理渡して「べっ、別にいらないよお。」と、迷惑がられるだけだった。「あー、名刺を渡したいなァ」と真剣に思ったものだ。
そのうち忘れられ奥深くしまわれた名刺は、大掃除の時などに古くさくなっただけの青い箱がひょっこり現れるだけのものとなった。かと言って捨てるわけにもいかなかった。引っ越して住所が変わったときに「捨てても良し」という大義名分が出来、それでも名残惜しく手に取られ捨てられた。
後に名刺屋で作ったものも同じような運命を辿った。
その後フリーランスの演奏家として仕事をするようになった。名刺を戴くことが俄然増えた。自分の名刺を持つことにはすっかり興味を無くしていたから、「あっ、僕名刺ないんですけど。」と間抜けな言い訳を何度もすることになった。いただく名刺は日に日に増え、机の端に重ねて置くと崩れるようになった。
山が3つ位になったところで、ようやく大きなノート型の名刺ホルダーを買った。
全てをホルダーに収めた。後20枚程の余裕しかなかった。改めて眺めると、同じものは二つと無く、それぞれに台紙そのものの色も違い字体も様々。イラスト入り、写真入り、どれもが主人の意志を懸命に主張しているようだった。
一体誰なのか分らないものも多かった。演奏家であれば楽器名などがあるからまだしも、レコーディングの現場で1度しか会ったことのないマネージャー、ディレクターなどは状況さえ思い出せなかった。
三波春夫さんは一度会った人の名前を必ず覚えていらしたそうだ。初対面の挨拶の後、相手の後ろ姿を見送りつつ、その名前を口の中で何度も繰り返したそうなのだ。「偉いなあ。さすがに大歌手だな。」と感心した。
そこで、覚えられそうにもない僕としては、戴いた名刺の裏に簡単なメモをすることにした。**月**日、+++スタジオ テナーソロ キーはAという風にだ。楽曲の記憶は案外強いから、そこから状況を思い出せないかと考えてのことだったけど、二度と会うことのない方も多く、スタジオが変わると同じ方でも初対面のように思い、幾度か冷や汗をかいた。
いただいた名刺は捨てるわけにもいかず、もう何年もホルダーの中に収まっている。記憶は風化し、ますます分らないものが多い中で、一枚だけ貰った日のことをよく覚えているものがあった。
今は捨てられて、もうその名刺の持ち主の名前さえ思い出せないのだけど、あの日のあの場面だけはよく覚えている。行った場所の駅名さえうろ覚えなのにだ。
「あのさぁ、××の日空いてる?ちょっと頼まれてくれないかなあ?」
世話になった先輩からの電話が全ての始まりだった。
「結婚式なんだけどサ、何か軽く演奏、ああ、何曲か吹いてくれりゃいいんだヨ。詳しくは俺もわかんねえんだけどサ。短い時間だから頼むよ。」
「誰からの仕事なのさ」
「いや、俺もよく分んねぇんだけどさ。Sさんて言う人なんだよ」
分んないって、大丈夫かな?と思いつつ、また始まったと納得した。いつもの事で、また何処ぞで飲んでいるときに安請け合いしたに違いないのだ。
「それで、何処に行きゃいいの?」
「おっ、やってくれる?俺、都合悪くてさ、頼むよ。えーっと、何処だっけナ、ちょっと待って。えー、これだこれだ、駒込の駅のそばの「〇〇〇」て喫茶店で11時待ちあわせナ、楽器持ってるから相手がすぐわかると思うよ。じゃ、頼むわ。ギャラは××万ナ」
昔はよくそういう事があった。待ち合わせ場所で初めて会って、挨拶もそこそこに仕事に向かう。さて、11時前に喫茶店に行ってはみたが、それらしい人はいなかった。コーヒーを頼み、あくびをしながら煙草を一服。2本目、3、4本目、、、、。
11時を回っても誰も来ない。昼前の広い喫茶店の中には何人かの客がいるだけだった。様子がおかしい。バンドだったら他のメンバーがいても良さそうなものだ。
店を間違えたか、時間を間違えたのかも分らない。先輩にも連絡は取れず、40分を過ぎた辺りで「これは本当にマズイ」と思い始めた。もしこちらのミスであれば、先輩の顔は(と言っても酔っぱらった赤ら顔のことだけど)丸つぶれ。とにかく動いてみるしかない。
「結婚式と言ってたからには、結婚式場だな。バンドを入れるって言うからある程度大きいところだな」席を立ちレジに向かった。勘定を済ませ、ウェイトレスに聞いた。「この近所に大きな結婚式場ありますか?」
「近くではないけど、タクシーでツーメーター位の所に「XXX」がありますけど。」とりあえずそれだ。そこに行って分らなけりゃ、後はもう知るものか。
「大体やね、誰も来ないのはどお言うこと?」後のための色々な言い訳も充分に揃え、状況に苛立ちを覚えつつ、次第にムカムカする気持ちを抑えながららタクシーに乗り込んだ。
結婚式場にはすぐ着いた。何かの間違いということでもいいから誰かいてくれよナ、と思いつつ会場を探した。その時間帯には一組だけが入っていた。
準備中の披露宴会場に入ると、一人の男が近付いてきた。
「ギョッ」としたような顔つきだった。
それでも男は鷹揚な仕草で穏やかに言った。「よく、ここが分りましたねえ」
ええーっ、何て言い草だ。あたしはね、一時間近くもネ、わけも分からず、不安になりつつ待ったのですよ、と言いたかった筈なのに、到着した安堵感と男のあまりにも自然な態度にすっかり拍子抜けしてしまったのだ。
こんな事があっていい筈もなく、理不尽で馬鹿馬鹿しい話なのだけど、こうもあっさり言われてしまうと脱力して怒る気も失せるし、何だか可笑しくなってきて笑いそうにさえなった。
長い時間を経て、その中年男性の顔の記憶は今や何となく似た知人の顔にすり替わり、正確には思い出せない。噺家の歌丸を若くして鋭さを付け加えたようなイメージだろうか。
「いや、申し訳ない。ステージを作ろうと考えていたんですがネ、ご覧の通りの狭さでね。とてもじゃないけどバンド入れるの無理って事でね。演奏は中止なんですよ。いや、ギャラはお払いしますよ。本当に申し訳ないですねえ。
わざわざ来ていただいたんだ。どうです?来たばかりで帰るのも何でしょう?コーヒーでも飲んで行かれてはどうです?」
コーヒーだったら今飲んできたところです!と怒ってもしょうがない。ギャラさえ頂ければ全てはコーヒーに流しましょうってんで、僕はまたコーヒーを飲むことになった。S氏は名刺を出し、すっかりくつろいだ様子で昔の音楽界の事などを話し始めた。
名刺には特に肩書きがあるでもなく、N饗ボイコット事件など、デビュー当時の小沢征爾の話とかを懐かしそうに話すS氏が一体何者なのかも分からなかった。昔話を続けるS氏が音楽業界の人なのかどうかも、話を聞いたかぎりでは漠然としていてとらえ所がなかった。だからと言って、改めてそんなことを聞く必要もなかった。
しかし、会話はどことなくチグハグだったし、第一僕が来ることなどすっかり忘れていたんじゃないかという疑わしさも残った。
僕等が座ってコーヒーを飲んでいる場所から向かって正面には開け放たれた大きな金屏風のような扉があって、その扉を額縁のようにして赤い絨毯にくるまれた階段が見えていた。
その額縁を横切るように女の人が現れた。
S氏が声を掛けた。「・・・・」僕を紹介しようとしたようだった。その女性はこちらを見るでもなく、ちょっと恥じらいだ仕草で視線を泳がせ、会釈するように体をひねりつつ額縁から姿を消した。
S氏よりはずっと若い人に見えた。不思議な瞬間だった。一瞬のことなのに強烈な印象が残った。何故だか分からないが、僕にはとても艶めかしく見えた。結婚式場の雰囲気にはそぐわない温度を感じた。S氏は「しょうがないなあ」と言うように笑った。僕は、「お役に立てなくてすみません」とか何とか心にもないことを言ってその場を後にした。とても現実感のない時間だったと今でも思う。
それから一週間ほど経ったある日。テレビのニュースを見ていて僕は息を呑んだ。 あまりにも驚いたものだから、声もなく静かになった。
S氏の顔写真がブラウン管の中にあった。あの女性の事も語られていた。女性は犯行の際の衣服などを捨てた、いわゆる証拠隠滅などの疑いで共犯者として逮捕された。
S氏は殺人罪で逮捕された。
走行中の車の後部座席で相手を射殺したということだった。
事件の詳細は覚えていないが、何よりも驚いたのは、僕が会ったあの日が犯行から数日後だったという事だ。あの日彼等は夢の中にいたのかも知れない。普段通りの生活を続けることで何とか自分を保っていたようにも思える。僕に名刺を差し出し、昔話をしているときの彼は昔の自分と対面していたに違いない。
思い起こせば、投げ出した足とソファーにもたれかかる様子が横柄に見えたような気もする。しかし、それは事件を知ってから思ったことだ。あの日、S氏は現世を離れ違う世界に入っていて、彼女は現世との境界線に立っていた様にも思える。
確か、ニュースでは絵本作家と紹介されていた。
何が起こったのかも分からないわけだから、彼等のやったことを咎めたりする立場に僕はいない。
ただ言えるのは、人が誤って迷路に入り込みもがいているときに、僕はどういう縁なのかそこに招かれざる客として引き寄せられて、奇妙な時間を共有してしまった。
極々普通の現実の中にいた人間が、まるでダリの絵の中に放り込まれたようなものだった。時間は溶けた金属のようにねじれ、現実感がなかったのは当然かも知れない。
名刺のホルダーにしばらくは収まっていた名刺をいつ捨てたのかは覚えていない。
04.3/1