liebman

 この6年間ライブでオリジナルを演奏してきた。その事については賛否両論ある。と言うより、むしろ否定的な場合が多い。オリジナル曲は分りにくいという風に。

 しかし、自分にその区別がはっきりとあるわけではない。
ただ、どちらの方がより自由かと言うと、それは当然のことながらオリジナル曲だ。
 自分のイマジネーションを自由に展開させるためにオリジナル曲を作る。決してスタンダード曲が嫌いなわけではない。演奏したい曲はそれこそ山ほどあって選曲に苦労するほどだ。

 古い友人が「ストイック過ぎるんじゃないっスか? もっとパアッと行きましょうよ。知っている曲も増やして、、。」などと言う。何だか失敬な話だと思いつつ、「客側はそんなにシリアスに聞いちゃいないんですよ。オリジナルばっかりは辛いですよ」と言われれば返す言葉もなく、実力今一歩足らず感がある。早い話、飽きたらしい。
 演奏家にとっては哀しい話で、アドバイスを越え批難されたような気になる。
 大方のプレイヤーが其処此処で経験することで、続ける過程では避けがたい難問でもある。ま、聞く方によって反応も様々だから解答はなく、演奏者は自分がよかれと思って演奏するだけなのだが、、、。    

 若いころはスタンダードを案外真面目に勉強した。やればやるほど誰かの物真似に近付いた。ま、技術も知識も半端で力不足だったとも言える。もっと多くの音楽がこの世界にはあるように思え、それを知らないことが損な事のように感じた。
 チャンスが巡り、オーティス・レディング、ジュニア・ウォーカー、ウィルソン・ピケット、などソウル、R&B、そしてブルースの巨人達、マディ・ウォーター、ロバート・ジョンソン、アルバート・コリンズ、B・Bキングなどを知った。
 その深みの中で喘ぎながらも、ジャズに対する興味が無くなることはなく、静かに続いてはいた。
 たぶん、最近になってやっとドレミが分るようになったと言っても通らない話なんだろうが、実際そう感じている。

 レヴェル差がありすぎて比べようもないが、長いキャリアの中で出会った何人かのミュージシャンの影響は強い。
 こう成りたいと願ったわけじゃないが、彼等の生き方には「さあ、お前はどうなんだ?」と突きつけてくる厳しさがあった。

linhos


 30代、デイブ・リーブマンと仕事をする機会があった。(日野晧正さんの仕事)
 それ以前に、チック・コリアと来日した際のラインから録ったテープがあって、宝物だった。そのリーブマンと何日も一緒だったから、千載一遇のチャンス。一挙手一投足に注目した。
 雑誌社のインタビューがあって、外で写真を撮るというので金魚のフンのようについて行った。何枚か撮った後に、楽器を吹いていた方がよいと言う意見がどちらからともなく出て、田園コロシアム(今はない)のテニスコートでリーブマンはおもむろに吹き始めた。レスター・ヤングだった。
 優しい音で軽やかに響き渡るテナーの音はテニスコートに見事にマッチしていて、「オオーッ」と感動した。少し照れながらリーブマンはニヤッと笑い、「なっ、、、」と言う表情をした。なっ、いいだろ?

 控室には次から次へとミュージシャンが集まり始めた。バンドにはアンソニー・ジャクソン、ジョン・トロペイがいたし、同じ日の出演者スタンリー・クラークとチック・コリアも現れた。目まいがしそうな控室だったと思う。
 アンソニー・ジャクソンは前日のリハーサルで、食事も後回しにするほど練習に熱中していた。一つのパターンをあれこれと変化させながら何度も何度も繰り返していた。何をやっているのかは分らなかったが、聞いているうちにいつの間にか覚えてしまった。それが何だったのか分ったのは、それから数ヶ月後の事だった。ナベサダの武道館ライブの録画がテレビ放映された。その中でアンソニー・ジャクソンは例のフレーズを展開させた見事なソロを演奏していた。
 確か、ナベサダのライブは僕が一緒に仕事をした一週間程後だったと思う。彼は長い時間を費やして、自分のイメージを膨らませていたらしい。参った。

linhos


 リーブマンは教師でもあって、ブラスの一人の「何かフレーズを教えてくれ」は軽く無視されたけど、聞けば誰にでも丁寧に教えてくれた。
 一緒に参加していたサックス奏者は、先ずロングトーンでCの音を吹かされた。  次にDを吹けと言うので、彼はDを吹いた。
 すると、リーブマンは言った。「今、君はドからレへ動いた。ドからレへ移るときに君の中で何らかの変化があったはずだ。それが音楽なんだ。音が移動するときに起る君の中の変化こそが重要なんだ。」

 僕等は一瞬キョトンとなった。正直なところ、いきなり難しいことを言うなア、あっ、それでおしまいナノ?ウーン、どうしようってナ感じだった。
 僕等は曖昧に笑いながらお茶を濁し、その場からスゴスゴと退散した。今でもその時のことを思い出すと何となく可笑しい。
 リーブマンは控室で動き回ることはなく、何時も静かに座っていた。
 僕はウロウロと出たり入ったり動き回るのだけど、彼を監視することだけは怠らなかった。彼が机に向かって何かを書いているのを見つけた時は、急いで近付いた。
 しかし、プライヴェートな事であれば失礼だ。全くミーハーで恥ずかしいことでもあるけど、遠くから背伸びをして覗き込んだ。彼は真剣な表情で譜面を書いていた。
 当然、これは気になる。書き終わったら聞いてやろうと、通訳できる人(バリトンの原田忠幸さん)を呼んで待った。
 「何を書いているのか知りたい」と言うと、リーブマンはあっさり五線譜のノートを見せてくれた。フレーズの断片らしきもの、曲のような2段譜、殴り書き、清書風、ノートはほとんどのページが埋まっていた。
「これは、曲のモチーフですか?」
「いや、見ての通りだ。色々だ。」
「、、、、、・・・・」
「ステージに上がる前、色々な音が聞えてくるのを書き留めているんだ。」
「それをどうするんです?」
「その日のステージの何処かで必ず吹くんだ。」
「それって、いつから始めました?」
 彼は、目をグルグルとさせて驚く僕を見て、笑いながら言ったのだ。
「もう、ずっと若いころからやっていた。家に帰れば、同じようなノートが天井に届くほどあるヨ。」「えーっ!!」
「内容はその時によって様々だ。R&Bに興味がある頃のノートはR&Bのフレーズで埋まっているし、時代によって色々あるヨ。」
 で、彼は、そのままコピーするのではないと言う。
 例えばR&BならR&Bを聞き続けていると、何かの拍子にR&Bのフレーズのようなものが浮かぶ、、、それを書き留めれば、それは自分のフィルターを通して浮かんできたメロディであって、コピーではないと言うのだ。尊敬の念が10倍くらいに増大した状態でステージに上がり、モニタースピーカーからはリーブマンの音だけが聞えるようにしてもらった。

 その後のリーブマンが発表するものを全て好きにはなれなかったが、あの凄まじい演奏をする巨匠が日々学んでいる様子は強烈な印象を残した。

 それからは、僕も真面目に頑張りましたと言いたいところだが、喉元を過ぎれば、、、で、時々思い出しては焦りつつここまで来た。

 

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04 9/10


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