13 musician
18才の頃成り行きでよく分からないままプロ演奏家になり、気が付けばほぼ40年。
血の出るような苦労はなく、信念はその都度適度に曲げ、第一信念など最初から持っていたかどうかさえ疑わしい。
楽器を少々こなせる事が幸いして、いつの間にかそれが生業になったと言うのが正しい。
その意見に膝を叩いて同意する周りの仲間は多い。
音楽家として生きる決心をしたなどと言う人に会う事は珍しい。
演奏家の実態は大体そのようなものと思って間違いないと言える。あるヴァイオリン奏者は、そもそも子供の頃のレッスン程嫌なものはなかったと言う。今は忙しく飛び回っているからいいのではないかと言うと、結果的にそうなっただけの話で幸せかどうかは分からないと苦笑する。
そうは言っても、誰もが自分の中に抜き差しならぬ音楽に恋い焦がれる情熱を持っていた事を否定はしない。その漠然として形にならぬものを糧に歩いて来た。
ここ数年の付き合っていたヴァイオリンの尾花の場合はまた特別だ。
彼は芸大に入る時点で全てのレッスンを大方終えていた。あらゆる曲を暗譜するほどの鍛練を繰り返していた事は間違いない。で、カーネギーホールでリサイタルを開き、ソリストとして生きるはずだった。
何らかの変化があって、彼はソリストの道を離脱しコンサートマスターとしてオーケストラに入った。20代半ばから30年間務めたそのパートの苦労は大変なものだ。例えばコンサートマスターは何らかのトラブルに備え、3つほどのヴァイオリン・コンチェルトを何時でも弾けるようにしていなければならなかったそうだ。それは毎日の練習で3時間ほどの時間を別途割く事を意味する。いくら暗譜していても復習っておかないと弾けなくなるらしい。
ジャズだって本気で続けるにはそれと同様の鍛錬が必要だ。僕はそのような厳しい鍛練を続けた記憶がない。随分と怠けていたに違いない。
ある日、鍛錬嫌いのサックス吹きにスタジオミュージシャンの道が開けた。これは鍛錬の方法がない。スタジオに入るまで何を演奏するのか分からない。
ロックンロールかも知れないし、童謡かも知れない。はたまた演歌の場合も有り得るし、その後に洒落たオケに乗ってアドリブソロってのもある。いつも何時も自分好みのスタイルで演奏出来るとは限らない。むしろ違うものを要求される事の方が多い。
しかし、面白かった。
何とスリリングで刺激的な毎日だろうかと思っていた。それが落とし穴だった。鍛錬をさぼったツケは怒濤のように襲いかかってきた。鍛錬の幅が広過ぎて泡を吹きそうだった。実際何度か泡を吹いた。
時々、「楽器は何を使うか未定なので全部持って来て下さい」なんてのが入るとパニックだった。
そうやってまごまごしている内に僕等は50代を迎え、すっかり暇になったと嘆くようになった。
一度整理して世代交替し仕切り直しをします、と時代が言うわけだ。少々困った事になったのだが、考え直す時間を与えられた僕等は自分のやりたかった事は何だったのかと反芻するようになった。しっぽを巻いて逃げる手もあるが、何せ楽器を取り上げればただの加齢臭漂うオヤジに過ぎない。再度歩き始めた同年代の仲間が出発点に立ち返ったように見える。
仕事に追われて突き詰める事が出来なかったものを改めて見直すようになった。
ある仲間の一人は今までと全然違うスタイルの事を言うようになった。日々の仕事では活用出来ず、実務に合わぬ理由で黙殺していた事が突如浮かび上がって来たらしい。若い頃、模倣は見栄を伴う武器だった。偉大な演奏家の誰かに似ているだけで称賛され、まるで自分の手柄のように珍重もされた。それで一生やっていけるのではないかと思えたほどだ。
歳を重ねその胡散臭さに気付かぬはずもなく、全てをご破算に出来るわけもないが何度目かのリセットボタンを押してみる。気分的には20代に戻ったようなものだ。ターゲットが大して変わっていない事にも驚くのだが、人は歳を取ったからと言って激変するものでもないらしい。
尾花はソリストに戻り、僕は10代に憧れたものに手を伸ばす。

このところの仕事で、世代的には自分の子供よりも若い作・編曲家と会う事も多く、彼等と話している内に、自分の世代に何が起こっていて何処に向かっているのかを考えるようになった。
ま、鍛錬嫌いのmusicianがやっと真っ当なことを思うようになったわけだ。
06.6/20