2 1979年・2月27日 NHKホール

この日、日本音楽家協会、日本音楽家労働組合、日本演奏家協会とNHKサービスセンターの共催で「ジャズ・イン・トーキョー '79」なるコンサートが実施された。総勢120名が一堂に会す画期的な規模の催しだった。
写真は後日送られてきた月刊紙「ジャズ ワールド紙」のもので、送られてきたものが一号だったが、その後何号まで続いたのかは不明。
総勢120人の内訳は幾つかのビッグバンドを含むもので、ステージは3部構成。私達は1部の「ジャムセッション'79」のEグループで演奏した。ジョージ川口さんと松本英彦さん、北村英治さんなどと同じステージに上がる私達は紛れもなく若手だった。 大友義雄、向井滋春、清水靖晃、杉本喜代志、山本剛、古澤良治郎、岡野等、池田芳夫、沢井原児、小宅珠美(以上敬称略)の10人で2曲演奏した。曲は「パーディド」と「アンティクァ」私はパーディドでソロを吹いた。
新聞記事の見出しには「バップ絶唱の大友・向井グループが圧巻」などと記されていて、
「この顔ぶれではきっとフュージョン」と思いきや、始まったのが「パーディド」聞きなれた古典的バップフレーズが交錯すると、聴衆は喜んだ。乗りに乗ったそのセッションは聴衆の共感を呼び、強い感動を与えて、まさに当日の圧巻であった」と持ち上げられている。
たぶん、とても新鮮に聞こえたに違いない。主催側からお揃いのロゴ入りのTシャツを支給され、本番では全員が身に付けた。写真はリハーサル時のものだと思われる。時代背景は、シンセサイザーなどが音楽の形態を変えつつあるころで、それまでの活動が困難になりつつある状況だった。そこで「ライブ・イズ・ベスト」を掲げてのデモンストレーションだった。日本音楽家労働組合(日音労)は、主にキャバレーやクラブなどの箱バンで演奏する人が所属する団体だったが、カラオケの台頭と共にバンドを入れる店が激減していた。
その他のジャンル、日本演奏家協会(日演協)に近いスタジオミュージシャンの録音業界は当のカラオケを作っていた側だったが、テレビなどでバンドの姿を見なくなって久しい現状に向かって緩やかに下降線を辿ることになった。30年前に現在の状況に対する危機感があったとも見なされる。
個人的なことだが、特筆すべきは大友義雄さんの存在だった。写真でちょうどアルトソロを吹いている先輩で、とてもお世話になった。商売下手な私をなんとかしてあげようと思われたのか、何かあると声を掛けて頂いた。
最初はピット・イン朝の部の頃だった。いつものせっかちな話しぶりで「お、おまえさ、俺のバンドのライブでさ、ツー・アルトでなんかやらない?」
当時、大友さんは既に土曜日の夜の部で演奏されていて、声を掛けられた当人としてはかなり緊張することになった。満員のピット・イン夜のステージに上がり、本当に足が震えた。
それからも、サックス・クリニックを兼ねたライブに呼んで頂いたりもした。大友さんは間違いなく恩人の一人、足を向けて寝られない人でもあり、いまでも感謝している。
この写真の日、休憩していた部屋にはピアノがあった。それまでに「パーディド」など演奏したことがない私が、「大丈夫かな」と洩らすと、側にあったピアノに大友さんは向かわれ弾き始められた。
ピット・インでピアノ奏者の入りが遅れた際に、1部をピアノ・トリオでやってしまうような方だったから、ピアノの腕前も大したものだった。その上でソロを吹いて本番に備えることが出来た。
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