Bernard "Pretty" Purdie (バーナード・パーディ)氏とのライブは2000年の東京以来。連絡担当していただいたキーボードの吉弘さんから電話があったのが7月2日。
4年前のメンバーを呼んでくれというボスのオファーはありがたくも、スケジュール調整で難航しメンバーを決めるのも一苦労だった。前回参加したトロンボーンの片岡雄三氏などは都合がつかず、悔しがることしきり。
一日だけでも参加したいと希望されていたが、東京公演が流れ、参加不能に。
前回と同じメンバーでなくても良しということで、鍵和田道男氏(Trombone)高瀬龍一氏(Trumpet)にお願いした。しかしながら、全ての行程が分ったのがリハーサル3日前。結局、資料は届かず、現地に赴きリハーサルスタジオに入るまで何をやるのか分らない恐ろしい状況だった。
9月12日、和歌山郊外のリハーサルスタジオで音が出て初めて、ライブが現実だということを実感。
Pancho Morales (Percussion)
Roy Bennett (Bass)
Winston Byrd(Trumpet)
John Korba (Pino Vocal)
塩次伸二 (Guitar)
吉弘千鶴子 (Keyboard)
高瀬龍一 (Trumpet)
鍵和田道男(Trombone)と私で10名。
トランペットにウィンストン・バード(W. Byrd)が参加するのを知ったのも5日前。しかし、音が出てしまえばそれまでの心配は全て消し飛び、柔らかいビートにすっかり心はリラックス。狭いスタジオの中、歌以外はマイクなし。サックスをサブトーン(息を含んだような小さい音)で鳴らしても打ち消されることなく、包み込まれるようなリズムと深いビートを体感。ギターの音量が上がっても、彼等の音は決して大きくならず一定のダイナミックスが崩れることはなく、これは言わば極楽でステージ上でもそのバランスは保たれる。
大変だったのはホーンセクションで、譜面が用意されていなかったこと。要はそれぞれのソロだったが、セクションワークも必要。それで、ウィンストンの口伝えを書き写し、ハーモニーは適当にその場で考えた。
ウィンストン自身がうろ覚えの部分もあり、分らないものは最後までよく分らないという具合だった。この事態を想定して五線紙を用意していた鍵和田氏はさすがだった。面倒臭いのか、ウィンストンは一つとしておたまじゃくしを書くことはなく、我々には何とも印象の悪い出だしとなったが、彼等は譜面にするより覚えるやり方で育ってきたのだと思われる。
演奏曲(全部やった日もあれば、そうでない日もあり)
2部構成。
Memphis soul stew
Deacon Blues(vocal John)
Sara smile(vocal John)
Back to Louisiana(vocal John)
Mr Magic
Home at Last(vocal John)
Back in Love
Until you come back to me(vocal John)
What's goin' on(vocal Roy)
James Brown Medley(曲名詳細は不明)(vocal Roy)
Way back home
前回とは違う髪形になって現れたベースのロイ。 その事を言うと「ああ、ちょっとナ、4年間で伸びた」と返事。これは、J・ブラウンの「It's Man's World」を歌っているところ。この人の歌は本当に素晴らしく、何度も驚かされた。![]()


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休憩時間、外でくつろいでいるところにカメラを向けると、ボスはちゃんとポーズを取ってくれる。ボスの後はピアノのジョン。
ジョンはスティーリー・ダンの曲を歌ったのだが、何ともややこしいコード進行で「これはサックスソロだ」とのこと。把握するまで大変だった。
例えば、DMaj7 C#m7+ /CMaj7 Bm7+/EMaj7 Ebm7+/DMaj7 C#m7/FMaj7 ッてな具合、、、、。
(John Korbaはギターもこなすキーボード奏者で、カーリー・サイモン、ジョン・ウェイツなどのアルバムにも参加。02年、03年「ホール&オーツ」のメンバーとしても来日したそうです。作編曲家でもあり、ブロードウェイ関連の仕事も数多く手がけているのです。物静かな紳士で、和歌山で一緒にラーメンを食べながら話をした。
「君等はフルタイムミュージシャンか?」
何を言っているのか最初分からなかったのだが、音楽だけで食えているか?という意味。ニューヨークではほとんどのミュージシャンが副業を持たざるを得ない状況が加速していて、私がよく知っている何名かの演奏家が困っていると言う話は少しショックだった。レコーディング・スタジオはコンピューターが席捲。「時代だから仕方がないのだけど」と嘆いていた。ニューヨークに帰るとブロードウェイのショーの仕事が待っていて、7人編成のバンドで自分はキーボードとギターを弾きながら指揮をするとのこと。鍵和田氏が「ホーンはいらない?」と聞くと、「ホーンはないんだ」とニヤリ。
「それは、悪い音楽だネ」と言うと、何とも優しい顔で笑う。
12月8日生まれの50歳。
「おッ、パール・ハーバーか?」と不謹慎にも突っ込むと、少し考えて「いやパール・ハーバーは12月7日だ。」日本とアメリカでは一日のずれがある。{イチローの記録は10月1日(日本では10月2日)}
で、悲しい顔をしてジョンが言うには「12月8日はジョンレノンが死んだ日なんだよ」穏やかな中にも強さを感じさせる音楽家だった。和歌山公演の後、案内された場所はライブハウスで、3人編成のバンドの熱い演奏が始まったのだが、堪らず外に出た私の後からついてきたジョンは「うるさすぎる。こう言うときはお前こうだろ?」と言い、口ずさんだメロディが「Body and Soul 」 だった。)
リハーサルが行われたスタジオ近辺の景色。
和歌山の駅から車でおよそ30分走って辿り着いたこのスタジオ。実は音楽好きの床屋さんが趣味高じて作ってしまったスタジオで、写真では少し分り辛いかとは思いますが、手前がCut Box、後の高い建物がスタジオ。「本業より大きいじゃないですか」と言うと笑っておられた。御主人は高橋真莉子さんのファンで、コピーバンドをやったりされているとのこと。

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デジカメが活躍したのは、もっぱら移動中などで、演奏している各々のスナップ、ステージの写真はほとんどないのだが、真剣なステージ上の表情とはまた違う彼等の素顔が見える。
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9月13日、和歌山駅にて。 最初の公演地大阪に向かう。
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トランペットのウィンストン・バード。とにかく声がでかく、よく喋る。
例えば、スティーリー・ダンの曲で私がソロを吹けば「オーッ、ブレッカーのようだな、、。お前は凄い。参ったな」と言うふうに、社交辞令も大袈裟に喋りまくり、ある人には「君はニューヨークでも充分に仕事ができる。」とか軽く言う。
揚句、「僕のバンドが日本でやるときはサックス奏者を首にしてくるから、サックスを吹いてくれ」などと言い続ける始末。本人は随分と乱暴なところもあって、セクションワークはルーズになることも多かったのだが、回を重ねる毎にニューヨークで生きている31才のジャズメンとしての底知れぬパワーも見せ始め、その憎めない性格と相まって私を驚かせた。
彼のホームページの紹介では
「イリノイ・ジャケー (Illinois Jacquet) 、デイビッド・マレー (David Murray) 、 スライド・ ハンプトン (Slide Hampton) 、ルイ・ベルソン (Louie Bellson) と、カウント・ベイシー (Count Basie Orchestra) 、Village Vanguard Orchestra 、デューク・エリントン (Duke Ellington Orchestra) 、オリバー・レーク (Oliver Lake) など、ビッグバンドでリードトランペット奏者としての研鑽を積み、ジョン・ファディスの教えも受けていて、18歳の頃のヒーロー、アルチュール・サンドバル(Arturo Sandoval) から始まり、Dizzy、ロイ・エルドリッジ (Roy Eldridge )、チャーリー・シェイバース (Charlie Shavers) 、 Pops (ルイ・アームストロング /Louis Armstrong) )から学んだ事も多い。」
彼の印象は一言で言えばパワフル。それは生きていること全てにそうであるようで、音楽も遊びも全力投球。食事の時はコーラのトール・サイズ・カップがまず二つ並び、後にまた一つ追加。良くも悪くも大雑把、おおらかとも言えるが、その体躯から繰り出されるパワーで全てを処理していく様は恐るべきものがあった。様々な影響がうねるように聞き取れた
日本では、例えばあるプレイヤーを評するのに「彼はどちらかと言えばコルトレーンだから」とか「ウォーレス・ルーニー派だから」とか言う言い方をすることがあるのだけど、そのようなことは島国に住む人間の狭量さから来る、実にチマチマした観点だと思わざるを得なかったわけだ。
実際、彼等の文化でもあるジャズは一人の努力によって達成されたものでもなく、歴史上の全てから学びリスペクトする姿勢にこそ明日が見えているのかも知れないなどと思わされた。巧い下手の次元ではなく、理解度の問題と言うようなこと。
あらゆる状況に対処できる呼吸を身に付ける過程の、現在進行形若手ジャズメンを知ることに、実に新鮮な感動さえあった。私的には全く無名だったウィンストンを知り、ニューヨークのジャズシーンの凄まじさをかいま見ることも出来た。今年の12月に長期滞在で来日予定とのこと。
後で聞いた話では、帰る日、ホテルのロビーで「楽しかった。帰りたくない」と言ってウィンストンは大泣きしたそうだ。何だか、可愛いやつではある。
パーカッションのパンチョ・モラレス(Pancho Morales)
最長老68才。カメラを向けると必ずおどけたポーズをとってくれる大御所だった。いつもにこやかで、この方のそばにいると不思議に安心感を覚えた。
ま、お歳だから当たり前なのだけど、ステージ上でも必要以外の演奏は決してなさらず、ここぞと言うときに決めてくれた。
パンチョ・モラレス氏は70年代のキング・カーティスKINGPINSのメンバーとして「フィルモア・ウェスト・ライブ」などのアルバムに参加している。
大阪の会場の楽屋ではどういうわけか私達の部屋に居座り続けた。彼はとにかくしゃべるのが早く、鍵和田氏が「Please speak slowly、、、」と言っても全く意に介さず、どんどん喋り続けた。断片的に分るのはブラジルに行っていた時の話らしいと言うこと。「しばらくブラジルに住んでいたのかなア」などと勝手に想像するしかなく、鍵和田氏は適当に相づちを打ち、私が「何だって?」と聞くと「分んないんだよ」と言う事だった。しかし、急に歌い出して、フレーズを歌い、パーカッションを叩く仕草で口パーカッションをやる繰り返し。もしかするとと思い、サックスでフレーズを一緒に吹くと、顔が輝き益々盛り上がる。
レパートリーの中にグロヴァー・ワシントンの「Mr Magic」があって、サックスで始まり、ボスのソロで締め括る構成だった。この曲でボスの前にソロをするのがパンチョ。どうやら、その時にホーンでこれを吹いてくれ、という事らしい。「Horns, come'on」と言ったらやってくれと、、、。
その時に口で歌ったパーカッション・ソロは、良くそんな風に舌が回るなァと驚くほど見事なもの。その日、パンチョの顔さえ見れば、私はそのフレーズを歌っていて、その都度モラレス氏も嬉しそうに一緒に歌った。
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14日は大阪でオフ。高瀬氏は吉本、鍵和田氏は映画、私は全日空ホテルから梅田まで歩き、すっかり疲れて帰りゴロゴロと過ごす。パーディ氏等は前日の会場でR&B系のライブがあるというので赴き、ステージに上がったとのこと。![]()
私は大きい音を聴きたくなかったので遠慮した。東原力哉氏とトゥイン・ドラムで演奏したらしいのですが、バトルはなかったそうで、期待した方はがっかりされたとか、、、。15日は京都に電車で移動。
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10時にホテルをチェックアウトして、電車に乗り込む前の大阪駅で。右に鍵和田、高瀬両氏、中央にパーディ氏。左の柱前はモラレス氏。
何でも朝5時頃まで飲んでいて、ほとんど寝ていなかったらしい。だから、少し不機嫌。

京都の「ホテル・フジタ」にチェック・イン。![]()
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.京都駅にて
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京都初日のオフ日は塩次氏のブルースバンド・ライブにほぼ全員繰り出してセッション。明けて16日、超満員の「都雅都雅」でのライブはかなりエキサイティングだった。「都雅都雅」の控室は隣のビルにあり、私達日本勢が本番前くつろいでいるところへ塩次氏のローディが駆け込んできて「あの、もうステージ始まっているんですけど。パーディさん、彼等はどうしたんだと言っていますけど、、、。」
当然、誰かが開演前に知らせてくれると思ってた私達の驚きは「エーッ!!」では済まず、しばし呆然。そんなバカな話は聞いたこともなく、焦ってビルの4階から飛び降りるような騒ぎになった。ま、誰も飛び降りることなく、階段とチョー遅いエレベーターで下に降り店へと駆け込んだ。中に入るとパーディ氏はドラムソロの真っ最中。「ちょっとごめん」と客席をかき分けステージによじ登り、ステージ上で楽器を取出した。
ドラムソロの延長で始まった、この日の「Memphis soul stew」のテンポの微妙な遅さは罰ゲームのようだった。ウィンストン、高瀬氏、鍵和田氏と苦戦している様子を聞いていて、心の準備が出来ていた筈の私も吹きだしてから焦った。
「何だこれは」と感じる重いビートと1小節の長さにダウン。テンポでではなく、完璧にビートを感じていないとはじき飛ばされるゾ、と言う警告に近いものがあった。
ソロが終わって横を見るとウィンストン、高瀬、鍵和田両氏が笑って拍手している。私が首をすくめて「ヘビーなテンポだったナ」と意思表示をすると3人とも大笑い。それぞれに「なあー」という事で、手強い一曲目だった。
しかし、様々な状況に慣れて、バンドはいい感じにまとまりだし、リハーサル時点で心配していた爆音になりそうな狭いライブハウスでも、本番が始まると緊張感溢れるバランスになってしまうところは流石だった。それぞれが自分の音をモニターに入れてもらい、他の音は生音で聞きつつバランスを取るやり方。
この日、ホーン全員が積極的にソロにトライするようになった。
ソロをしろと誰かが指図することはなく、吹きたいと思って吹けばいいのだ。
何曲かではソロオーダーが固定していたが、長く続けて行けばそれも変わったのではないかと思う。
遠慮などしていると、何もしない内にショーは終わってしまう。それが刺激的だった。「さあ、皆で楽しもうゼ」が基本なのだ。
17日は京都から和歌山へ移動。スタッフは車で荷物などを運搬。それで、この日のツアーコンダクターとして張り切ったのがボス、パーディー氏。さあ、行くぞと仕切っている様子が微笑ましい。

17日朝、8時頃パーディ氏から電話。「車が来た」とか何とか言っているのだけど、こちらも寝ぼけていてよく分らない。電話を切って間もなく、大きい音でノックされた部屋のドアを開けるとパーディ氏の姿。
「荷物運搬の車が来たが預けるものはないか?」
恐れ多くも、ボス自らボーヤの真似事をしていることに驚き、「楽器類は昨晩既に預けてありますから大丈夫です」と言うと、「ホーンの他の連中はどうだ?」
「大丈夫です。ありがとう。」
「9時半にロビー集合だ。遅れないように。」と言って立ち去った。ドアを閉め、私は思わず笑っちゃったのだ。お歳だから早く目が覚めてしまうのだろうか?それにしても可愛いなぁ、と。
ミドルネームのPretty にはそう言う意味もあるのかと思ったのです。この日の移動は賑やかだった。大阪から京都の移動はウィンストンが浜松に行ったこともあり、とても静かだった。何だか今日は静かだな、と思うとウィンストンがいなかったわけだ。その事を京都駅からホテルに向かう車中、吉弘さんはパーディに話されたそうだ。
「サックスの渕野が言うには、、、、、」。パーディ氏には大受けで大笑いされたとか、、、。ウィンストンがいるとロイものって来る。
写真中央の女性がキーボードの吉弘千鶴子さん。彼女とは、その昔「今夜は最高」というテレビ番組で何度か一緒になったことがあり、私のその頃の仲間、野力奏一、大石学などに連なるキーボード奏者だった。
実際には擦れ違った世代のプレイヤーとも言える。4年前のライブで再会した時、彼女はソウル、ジャズキーボード奏者として確固たる位置を築きつつある演奏家に成られていた。
2003年のNew Orleans Jazz & Heritage Festival にワイルド・マグリアス、マーヴァ・ライト、バティステ・ブラザーズのメンバーとして出演された。中々たくましく素晴らしいプレイヤーで、今回はアメリカンスクールに通う御子息ロニー君を伴ってのツアーだった。我々日本人グループと来日勢との橋渡し役もして頂いた。


京都駅ホームでのショット。左から鍵和田、高瀬、吉弘、各氏。トランペットの高瀬龍一氏とはこの仕事で初めてお会いした。決まっていたライブをキャンセルしてまで参加してくれた。パーディが好きであることが何よりだったが、少々のトラブルにも騒がぬ温厚な人柄で、ブッキングした私としては本当に助かった。

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同じく京都駅ホームでのツー・ショット。バーナード・パーディ、パンチョ・モラレス両氏。偉大なサックス奏者キング・カーティスのKINGPINS 時代からの仲間。
65才と68才のお二人の姿は神々しくさえ見える。エディ・ハリス、ディジー・ガレスピーなどと行動を共にしたパーディ氏から見れば、私などは駆け出し同然。
一緒にいる時間の長さに比例して、彼等の心の広さなども大きく感じるようになり、少し恐縮したりもした。


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この日が最後だという寂しさもあった。
相変わらずカメラを向けるとおどけるパンチョ氏と案外真面目に写ってくれた楽屋でのショット。パーディ氏とは前回より話す機会も多かったのですが、誰かに通訳してもらわないと深い話は無理。
しかし、何度か2人っきりで話す機会もありました。エディ・ハリスとの事を聞くと、懐かしそうな顔をされ、一言「いい時代だった」と答えられた。
「ロイ・ヘインズは75才で、まだ頑張っていますけど。あなたは後20年ぐらい頑張って頂けますか?」という失礼な質問にはしばらく考えて、「後50年だな」と答えられた。京都駅では待ち時間に、近頃流行りのコーヒーショップに全員で繰り出したのだが、私がコーヒーを注文してお金を払おうとすると、横から千円札を持ったパーディ氏の大きな手が伸びてきて払ってしまうのだ。ドーナツがあったので「フレンチクルーラー」と言うと、後から「オールドファッション」と言う声と共にまた千円札を持った手。自分が仕切っている場所では全部面倒は見ると言う事だった。
また、恐縮。

和歌山のホテル、ロビーでのショット。
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和歌山に向かう電車の座席は最前列。街中から和歌山が近付くに連れ次第に緑が多くなる。 今回のライブ、詳しい事情は分らないのだが、パーディ氏のファンでもあり、個人的な付合のある和歌山の中川さんの尽力で実現した。
その道のプロというわけでもない彼女等の努力は、ライブ会場の押さえから始まり、移動、ホテルチェックイン等々10人編成のバンドの世話だけでも大変だったはず。。中川さんの友人の方々も大活躍だった。
その方々もスタッフとして慣れないことの連続で気の休まる暇もなかったはず。下はスタッフの一人とロイ。
彼女は12日の関西空港で私達を出迎え、ホテルまで案内してくれた。故あって(ハンドルネームの様なものというかメアド)、空港で彼女を見つけるや「猫パンチさん?」と皆で声を掛けた。
呼ばれた彼女はキョトンとし、訝しげに顔を傾ける。私達は送られてきたツアーの行程表スタッフ名から知ったことで、自然に出た言葉だった。彼女は「何で知ってんのヤ」と思ったはず。大畑さんとは誰も呼ばず、吉弘さんでさえ楽屋では「猫パンチ、どこにいる?」と普通に聞く始末。「私は大畑郁です。猫パンチちゃいます」と何度聞いたでしょう?
最終的には名前を覚えた私達、たぶん、大畑郁さんという名前は忘れても「猫パンチ」は忘れないだろうと思われる。
他にも子供の送り迎えの合間を縫って手伝ってくれたサキさん御一家など多くの方達がステージを支えていた。見るに見かねた京都のスタッフが応援に駆付ける一コマもあった。パーディ氏本人と彼女等の情熱によって実現したツアーだった。
日本を代表するブルース・ギタリスト塩次伸二氏。パーディ氏お気に入りのプレイヤー。随分昔、彼とはブルースセッションで幾度も演奏を共にした。京都在住で別行動でしたから、写真は極めて少ない。本当に久し振りだった。

トロンボーンの鍵和田道男氏とパンチョ。
鍵和田氏とも久し振りのステージで、彼とは80年代にゴダイゴなど多くのステージを共にした。

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ベースのロイ・ベネット
初日に比べれば、幾分お疲れ気味。
リズムの要、グルーブを支える一方の立役者で、パーディ氏が「時々、私も導かれるほど素晴らしく、恐るべきベース奏者だ。」とステージで紹介。
彼の歌もプログラムの中では重要で、「What's goin' on」「J・ブラウン・メドレー」などでステージを盛り上げた。
茶目っ気もたっぷりで、「It's man's world」の最後は泣き顔になり、後に下がるふりをしているところにウィンストンがコートを掛け、急に元気になって次のナンバーに突入。
ま、ソウル・ショーのお約束パターンを見事にやってのけた。
オフ日、塩次氏のライブではオーティス・レディングの「I've been loving you too long」「Dock of the bay」を披露。このパフォーマンスも感動した。
ウィンストンと並んでチョー元気な方だった。
ロイの経歴はよく分らないのだが、トニー・ベネット、ニール・セダカ、テンプテイションズなどに信頼されているという事は、かなり守備範囲の広いプレイヤーだとも思えます。ベースの仕事以外に歌手としての活動もあるらしい。
こういうベーシックなところで支える方に対して小細工は効かない。難しいラインなどはとりあえず意味なく、気持ちの良い四分音符、八分音符こそが重要だと改めて思った。彼のベースを聞きながら演奏する事で見えてきたことは全くの基本だったわけだ。シンプルな方法でグルーブさせることを思い出させてくれ、そうなれば、彼等と一緒に演奏する喜びは幾倍にも膨らみ、さらに極上のステージを経験できそうな気がしたのだ。
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最終公演が終わり、サムライホーンズとウィンストンの記念写真。
サムライ・ホーンズとはパーディ氏が紹介の時ステージで突然言い出したことで、その前はプリティ・ホーンズだった。
ウィンストンに言わせれば「最悪のホーンズ」という事だった。

右から
鍵和田道男
高瀬龍一
ロニー(吉弘さん御子息)
パーディ氏
私
次の日早朝7時半、パーディ氏はロビーに集合した私達を見送るためにわざわざ降りて来て、一人一人丁寧にハグ。
また、会えることを願いつつ帰路へ。
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04 10/4