モーターショー

東京モーターショー


1997年 10月25日~11月5日

 この年、幕張メッセでのモーターショーに参加した。トヨタブースのアトラクションで演奏するというものだった。仕事であって、ライブ活動などとは一線を画するものではあったが、13日間の長丁場でことさら印象深い仕事になった。
 この類いの仕事の多くに見られるように、こういった場合の企画者の目論見は外人をステージに上げることだった。化粧品のコマーシャルで、日本人相手の商売にもかかわらず、色白の白人女性を起用することと同じようなことだ。
 外人の演奏家は多いが、流暢に日本語を話せるといったものでもなく、演奏家を手配した事務所サイドでは、統括するポジションには日本人と考えたらしい。雑用程度のことなのだが、これが始まってみると案外大変なことだった。この年の入場者数は151万5400人。一日10万以上の人が押し寄せるわけで、仕事はハードなものになった。客は次々に流れて行くから、ブースではいつも演奏しているような状態に持って行きたいわけだ。朝8時半から夕刻6時半まで、途中一時間の休憩はあったが、実に9時間は演奏していることになる。


 リハーサルを都内某所でやった後に、本番でのタイムテーブルが発表された。実際の演奏は10分ほどだったが、10分の休憩を挟んで同じことを延々と繰り返すという過酷な構成に唖然とした。事前に録音された音源に乗って演奏するものだったが、ステージには常にサック奏者が2人とヴァイオリン奏者が一人上がる編曲になっていた。ヴァイオリン奏者は楽な役回りだったが、サックス奏者はフルートを持ち替えたりしなければならず、気が抜けなかった。同じ奏者が一日中演奏することは無理があって、3人のサックス奏者と2人のヴァイオリン奏者が雇われた。毎日通勤するのは大変だということで会場近くのホテルも用意された。しかしながら宿泊に難色を示す方もいた。各プレイヤーの割り振りを任され、帰宅を望む人には早く上がれるような出演時間を決めなければならなかった。結局、最終ステージにはいつも上がることになり、13日間のホテル生活を余儀なくされた。公平を期するために、早く上がった人は朝8時半の一回目に間に合うようなスケジュールになった。それはそれで大変だったはずだ。


 エコカーの時代に突入しようとしていた。この写真のファンカーゴも目玉の一つだった。しかし、外国のメーカーは、まだ旧来の車を作り続けているようで、エコカーなんて知ったことではないという風でもあった。



 泊まり込みの仕事は大変だった。13日間家を空けるわけにもいかず、何日かに一度は帰宅して、郵便物の整理とか洗濯もしなければならなかった。夜7時ごろの近辺の道路は混雑した。特に土日はディズニーランドから流れてくる車で渋滞がすさまじかった。そこで、10時ごろに帰るのがベストだとわかって、一時間ほどかけて東中野に戻り、支払をコンビニで済ませ、コインランドリーで時間を潰すことになった。
 2週間は規則正しい生活が続いた。8時までにホテルで朝食を済ませ、昼まで演奏して会場内の食堂で昼食。言ってみれば収監されているようなものだったから、無駄のない日々で健康になった。

 期日も終わりに近づいたころ、控えの黒幕に後何日と書かれた白いガムテープが出現した。だれが貼ったのかは分からないが、出演している全員の気持ちでもあったから、誰もがそれを感慨深げに眺めてステージに上がった。さすがに天下のトヨタの仕事だったから、待遇はことの外良く、途中全員が集まった会食などもあったし、ストレスを感じることはなかったのだけど、毎日タキシードを着用することの窮屈さはよく覚えている。

2015 10/30


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