蔵王

6 1985年12月22日 蔵王 


 月日の経つのは早い。およそ30年前のクリスマス時期、ピアノの野力奏一、ベースの福井五十雄、ドラムの二本柳守、各氏とともに蔵王の温泉場にあるホテルで仕事をした。後に映画「キッチン」のサウンド・トラック・アルバム、グループとしてのアルバム「Cresent」を残すことになった面子で、温泉場のクリスマスに合わせた余興のような仕事だった。
 福井さんはこの地域に知人が多く、その流れでブッキングした仕事らしかったが、僕を除く三人の目論見はスキーにあったことは間違いない。スキーなどやったこともなく、たいした興味もなかった当方としては、うまく乗せられてしまった感があってまったく気は進まなかったのだが、気がつくとステージに立っていた。

 ご覧の通り、3日ほど何の工夫もない平坦なステージに並んでスタンダードなどを演奏した。二本柳氏はどういうわけか写っていない。アングルによってはもう少し見栄えのする写真にもなっただろうが、いかにも素人が撮った写真で、しかしながらこの起伏のない代物が今となっては懐かしく、虚飾を廃した現実っぽさが気に入ってもいる。

 この仕事にはフィリピンのジュリアという可愛い女性歌手も参加していた。ジュリアは六本木界隈のジャズクラブなどで仕事をしていたらしいが、私はこの仕事で初めて会った。
 蔵王までは2台の車に分乗して行った。ジュリアと同じ車に乗り込んだ私は何か考え事をしていたのか、それとも厄介な仕事を引き受けたと後悔していたのか、ジュリアによれば終始不機嫌だったそうだ。やっと到着した目的地で会食になった際、何らかの話題でみんなが盛り上がったとき。突然ジュリアが言った。「初めて笑った」
 なんでも、車の中で気難しそうなサックス吹きが気になっていたらしく笑い顔を見てホッとしたと後で教えられた。こんなヤツと何日か一緒に仕事するのかと暗い気分になっていたらしい。



 ドラムの守さんは北海道出身者で、冬場にはスキーで登校したというような方だからスキーの腕前は指導員レベル。他の二人も経験者で、初心というか初めてなのは、私と、こんな大量の雪など見たこともないというジュリア。いきなり山頂付近に連れて行かれ、「さあ、滑ってみよう」などと言われても、気分はほとんど罰ゲーム。スキー板というものがあんなに不自由なものだとは思わなかった。
 それでも2日目には山頂から転がったり雑木林に突っ込んだりしながら降りて、2度とスキーなどやるものかと決心することになった。降りる途中でジュリアは見失ったのだが、その夜のステージにはいたから、何とかなったようだった。

 この仕事以降、このメンバーで数々の仕事をしたのだが、ジュリアと会う機会はなかった。風の噂で商社マンと結婚したと聞いたが、その後離婚してフィリピンに帰ったというのが最後の情報だった。今年の台風でフィリピンは大変な事態になっていたが、無事だったかどうか知る術は無い。

 このクァルテットはこの数年後に解散した。



2013 12/01


footprints Top

.© Shigeo Fuchino 2002 - 2025