temptations

3 1988年・10月19日 関内ホール Temptations




 88年の10月、テンプテーションズの日本公演に参加した10名のホーン・セクションは関内ホールにいた。タレント側からの呼びかけでこの記念写真撮影が実現した。

 青い衣装のメンバーは左からリチャード・ストリート(Richard Street)、ロン・タイソン(Ron Tyson)、オーティス・ウィリアムス(Otis Williams)、アリ・オリ・ウッドソン(Ali-Ollie Woodson)の4名。5人編成のグループだが、この公演にはメルヴィン・フランクリンは体調が思わしくないとかいう理由で来日しなかった。
 この時点での彼らの最新アルバムは87年
発表の「Together Again」(写真下)で、リード・ヴォーカルにデニス・エドワーズが復帰したものだった。しかし、来日直前に何らかのトラブルが起き、急遽アリ・オリ・ウッドソンが再参加という形での公演になった。

 

 アリ・オリもデニスも出たり入ったりを何度か繰り返したらしい。割合ワイルドな傾向のあるデニスに比べれば、エレガントな芸風のアリ・オリの来日を喜ぶ人もいた。
わたしはリチャードとロンの間に立っている。中央の女性こそが川チビさんの愛称でミュージシャンに愛された伝説のインスペクター。数多くの外タレ公演に立ち合い、今でもトニー・ベネットからクリスマス・カードが届くそうだ。

 彼らの公演で印象に残っているのは衣装ケースだ。バス1台分はあろうかという大きな箱の中には来日公演回数より多い20着の衣装が収められていた。一着につき5人分都合100着の衣装はほとんど原色系の鮮やかなもので、もちろん毎日違う色のものを身に付けられた。彼らは日本で知られているよりずっと有名なスターで、まわりにはいつもプロレスラーのような体格のセキュリティ(SP)が数名ついていた。
 予習のために買っていたCDにサインを貰う際も、直接部屋で会って書いてもらうことはならず、表にいるセキュリティに頼むしかなかった。しばらくすると、大きな体をユサユサとさせながらセキュリティがやって来て「ほれ」と渡してくれた。

 最新アルバムからの曲はやらなかったように記憶している。
 彼らには「My Girl」「Ain't Too Proud To Beg」「Cloud Nine」「Ball of Confusion」「Papa Was a Rollin' Stone」「I Wish It Would Rain」などなどキラ星のごときヒット曲があった。
 リズム・セクションはほとんど黒人だったと記憶しているが、彼らのリズムというものが慣れるまでに少々の間を必要とした。これはソウル系の外タレ公演で毎回のように経験した。最初、リズムセクションは少し乱暴に聞こえる。とにかく後からグイグイと押されているような感じだ。しかし、慣れてくると、そのグイグイと押されるスピード感が当たり前になり、決して速くなっていたわけでないことを知らされる。
 このリズムのスピード感が僕らにとっては大きな課題でもあって、その昔、新宿厚生年金ホールでノーマン・コナーズとレジー・ワークマンのリズムを聞いた帰りにピットインに寄ってベテランドラマーのグループを聞いたのだけど、リズムが止まっているように聞こえたのだ。
 決してそのドラマーが悪いというものでもなく、その内通常の演奏に聞こえ始めたのだが、厚生年金でそれまで聴いていたサウンドが動画だとすると、店の中に入った瞬間聞こえたサウンドは静止画のようだった。あの違いはいまでもはっきりと覚えている。
 亡くなったセシルにそのことを質問したことがある。セシルによれば、彼はあるプレイヤーを例に挙げて「彼は速いパッセージを演奏するけど、それはスピードとは違う。遅いパッセージでもスピード感のある演奏ってのがあるんだ」ということだった。

 公演を聞きにきた方に話を伺うと、そういったことは委細構わず、とにかく4人のヴォーカルが機関車のようにダッ、ダッ、ダッ、ダッと迫ってくるのに圧倒されたと仰った。

 アリ・オリは愛嬌のある方で、リードヴォーカルを取ってない時の他のメンバーは後で振り付け通りのステップを踏むのだが、ターンでクルッとバンドの方を向いた際に必ずニヤッとウィンクされた。

 この時はテレビの「ミュージック・フェア」などにも出演した。その際にちょっとした紹介のような音楽が必要になったのだが、指揮兼音楽監督のバンマスはそれぞれのパートに口頭で音とリズムを振り分けられ、僅かな時間でサウンドを作られるのが粋だった。

 あれから25年が経つ。四半世紀だ。オーティスは活動を続けられていて、ロン・タイソンはソロ歌手としてアルバムを発表されたりしている。しかし、アリ・オリ・ウッドソンは3年前、リチャード・ストリートは今年の2月27日に亡くなられた。
 今や遠い昔の出来事になってしまったのだが、この歴史的なグループの日本公演に参加して演奏できたことを心から光栄に思う。



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