2006年 9月11日 Charles Ives の事
さて、前回初回に取上げたSir Simon Rattleの「Leaving Home 」シリーズ。「Orchestra Music in the 20th Century」Vol.1-7
第5集は「American Way」
アメリカの作曲家と言えば、ジョージ・ガーシュウィン、アーロン・コープランド、などが即座に浮かぶところだろうし、レオナード・バーンステインも大量の作品を残している。
個人的には、吹奏楽の経験から知った作曲家もいる。
ウォルター・ピストン、パーシケッティなどがそうだ。
ある日ラジオで流れたパーシケッティ、ピストンの作品に強烈なインパクトを受けた。
スーザのマーチも中学生の時代にはウキウキしたものだけど、彼等ほどモダンなものではなかった。
そこからアメリカの作曲家を知る事が始まった。

A Conducted Tour by Sir Simon Rattle
City Of Bermingham Symphony Orchestra
Elliott Carter、 John Cage 辺りの急進的な作曲家に至る流れの中で気になったのがCharles Ives(チャールズ・アイブズ、1874 - 1954)だ。作品は編成も広範囲で多作だったが、30年前の日本ではまったく注目されてない作曲家だった。
それが証拠に昔の分厚い音楽辞典の彼の項目は数行で片づけられていた。それはアメリカでも同じだったらしい。
彼が特異なのは職業作曲家でなかった点、友人と起こした保険会社の仕事の合間に作曲した事だ。
それを評して日曜作曲家などと、失礼な言い方もされたりするのだが、作品の数はとんでもなく多い。
父親は陸軍の軍楽隊のリーダーだった。陸軍と言ってもアメリカの内戦の頃、要するに南北戦争の頃の軍隊。
で、チャールズが父親の軍楽隊の奏でるマーチを聴いたかどうかは定かではないが、父ジョージは彼自身の考えに基づいた偏りのない音楽へのアプローチを教え与えた。
息子に賛美歌をあるキーで歌わせ、父親は違うキーで伴奏したと言う。
時代は世紀末に向かっていたし、音楽の世界も20世紀に向け歴史的な変化の兆しがあった。とは言え、かなり急進的な訓練で、リズム面でもポリリズミックな考え方を示したようだ。
後の作品に時折顔を出す、ステファン・フォスター (Stephen Foster)の音楽も父から学んだ。
この事がチャールズ・アイブズの音楽の核となった事は間違いない。チャールズは14歳の時に教会のオルガン奏者になり、ここで数々の賛美歌を作曲。
イェール大学 (Yale University)卒業後、保険会社に勤め、1907年独立して保険代理店 Ives & Coを設立。この頃まで、並行して教会のオルガン奏者は続けていたらしい。
「Three places in New England (ニュー・イングランドの3つの場所)」(1935)を最初に聞いて興味を持ったのだが、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のアルバムが初録音だったらしい。積極的にアイブスを取り上げたのはオーマンディとバーンステインだ。

彼の作品は聞き流せるような静かなパートでも、実はかなり複雑ってのが多い。様々なメロディやリズムが交錯する、コラージュ的な要素を第一に挙げる評論も多い。
特異な書式の一端を著作権に触れぬ程度に引用して次に示してみた。

これは上記「Three places in New England 」の第3楽章冒頭の1stヴァイオリンパート。指定はpが4つで、囁くように演奏される。16部音符10個を1単位とした10連符が続くが、数学的には割り切れない表記で、1拍半の長さに10連なのか曖昧な上に小節をまたいでしまっている。
しかも、2nd 3rd Violinは8分音符で動き、4th Violinは16分音符、Violaパートに至っては3連の動きが並行して続く。
実際、これはどう演奏するのか見当もつかない。で、ヴィオリン奏者に聞くと、指揮者次第だと言う。そう言えばブーレーズは右手で三拍子、左手で四拍子を同時に出来る人だった。
彼のスコアにはこのような神経症になりそうな箇所が幾つも現れる。 2楽章では段によって拍子を変えて表記。「Washington's Birthday」の中で演奏されるベルの楽譜はいっそう困難だと言える。ベルだけが他の楽器と違う小節線に区切られ、しかも8分の7拍子で1小節に音が6個。7拍6連と言うしかないが、精密に演奏出来るものではない。 既に、ポリ・リズミックなどと言われるものからは超越している。 彼が表現したかったものは精密なものではなく、曖昧なサウンドの蠢きのようなものではなかったかと思う。 1拍の長さをも壊し、不安げに揺れるサウンドこそが響いて欲しかったと思える。 それをイン・テンポの中で表記し、しかも極端な繊細さを伴う表現を要求した。 スコアを見るまで気付かなかったメロディ以外の楽器のざわめきこそがアイブズだったと思えるのだ。それに、武満徹の作品に聞こえるサウンドを彷彿とさせる部分もある。
交響曲3番「キャンプの集い」はマーラーがニューヨーク・フィルの指揮者を勤めていた頃(1910-1911)に注目し、上演予定でヨーロッパに持ち帰ったが、マーラーの死で果たせず。
その後、1946年4月初演。1947年ピュリッツァー音楽賞を受賞して、アイブズの名は広く知られる事になった。
サイモン・ラトルはこう語っている。
「彼は当時の社会に合わせて作曲する事はなかった。彼は保険のブローカーで生計の道を立て大きな成功を収めもしたが、音楽は彼自身のためのものだった。
ヨーロッパの伝統、あるいは実際の上演の可能性を完璧なまでに無視して作曲した。」
彼を評したD・イーウェン(David Ewen、ポップスからクラシックまで幅広い著作物あり)の言葉「ストラヴィンスキーやミヨーよりも早く復調性を用い、シェーンベルクより早く無調性に挑んだ。またハーバより早く四分音を試み、H・カウエルより早くトーン・クラスターを探求した。そしてブーレーズのはるか以前に偶然性の音楽を導入したのだ」
なかなか上演される事のなかった作品がラジオ放送された日、彼はラジオの前でスキップを踏んで喜んだと、何かで読んだ事がある。