2014年 6月09日 Jean - Yves Thibaudetの再現した Bill Evans
ハンプトン・ホーズのものでお気に入りなどはあったが、どちらかと言えばソロピアノの方が好みで、ピアノトリオのアルバムを聴くことはあまりない。それでもビル・エヴァンスのアルバムは何枚かある。


左の「Trio 64」はゲイリー・ピーコックのベース、右の「At Montreux」はエディ・ゴメスのベースとディジョネットのドラムの印象がことさら強い。彼らのバックアップでエヴァンスも快調ってな具合だ。で、むかしから苦手なのがエヴァンスのソロピアノ。
もちろん個人的な好みであって、無価値だとかいうものではないが、ソロの時のリズムが苦手なのだ。エヴァンスのピアノは概ね突っかかったようなリズムの癖があると感じていて、ソロになるとそれがさらに強調され、ピョンピョン飛び跳ねるような弾き方になる。
そういったものの一つが、この「Alone」
これが、例えばトニー・ベネットとのデュオアルバムになると、サウンドとアイディアの素晴らしさに大いに感心するわけだ。
さて一足飛びに本題に入れば、今回のお題はこれ。
Jean - Yves Thiboudet(ジャン - イヴ・ティボーデ)「Conversations with Bill Evans」「エヴァンスのコピー譜を弾きます」というもの。

1 Song for Helen
2 Waltz For Debby
3 Turn Out The Stars
4 Legrand: Noelle's Theme
5 Ellington: Reflections in D
6 Here's That Rainy Day
7 Hulo, Bolinas
8 Love Theme From "Spartacus"
9 Since We Met
10 Peace Piece
11 Your Story
12 Bernstein: Lucky To Be Me
ティボーデはフランスのクラシック・ピアニストで、この作品の吹き込み時(1997年)は36才。ライナーノーツによれば、このアルバムの録音は刺激的な出来事で云々と書かれているが、普段からジャズ好きというものでもないらしく、面白そうな企画に乗ってみましたということらしい。
ただコピーを弾きますでは能がないし、何か付け加えるものがあったのかといえば、それは難しい。打鍵の均一性とかはさすがにクラシックのピアニストで、訓練された音色を放つ。しかし、ニュアンスなどを表現することに関しては「あら、ま」的にがっかりする。
特にビートがはっきりしたもの、それは2曲ほどしかないが、そういったものは落胆する。

ジャズの基本的な説明に上のようなものがある。8分音符はこのように演奏されるというもの。どうしてこれが一般的になっているのか知らないが、これが勘違いを引き起こす元凶のようになっていることは確かだ。8分音符は跳ねるといってもこのようにあからさまに跳ねるものではない。シンバルレガートの説明であれば分からないでもないが、単音楽器の場合の8分音符は速い曲の場合だとほぼイーブンだったりする。
もちろんアクセントは多種多様にあって、その使用法は恐ろしく曖昧で説明不能に近い。それこそがジャズのニュアンスとも言える。
なぜこれを持ち出すかといえば、クラシックの演奏家がジャズ系にチャレンジすると必ずこの点でつまずくからだ。彼らは曖昧な表現というものをする習慣などないから、自由にと言われても困るという具合だ。それは写真上の右側のJoanna MacGregor(ジョアンナ・マグレガー)も例外ではない。いささか古いが「American Piano Classics」という89年のアルバムで、コンロン・ナンカロウ(自動ピアノのための作品で知られている)、アイブス、コープランドなどと並べて、彼女はセロニアス・モンク、エロール・ガーナーにチャレンジしている。モンクに関しては採譜も担当しているが、これもテンポのある部分になると、突如ピョンピョン跳ね出す。
私には本家本元のエヴァンスもこのピョンピョン部分で抵抗があるわけだが、それでもエヴァンスの場合はその不安定さを補うアクセントがあって救われているように思える。
むかし、クラシックオーケストラのパーカッションの方と一緒にやる機会があって、結果的には貴重な体験になった。
私らは基本的にビートのある音楽をやっているのだけど、クラシック系の方との決定的な違いは、そのビートのとらえ方にあった。驚いたのは、彼らにはテンポをキープしたままでビートを表現するという習慣がないことだった。曲の途中で必ず遅くなったり速くなったりした。そうすることが当たり前で、そのような表現が大前提らしい。確かに、現代物のブーレーズのソナチネとかベルグの曲をインテンポで通せば窮屈なのは想像できたりする。
そういう風に曖昧な部分はあるのだが、私ら側のアクセントと音符の長さの曖昧さには付いていけないということになるのに違いない。
ポップサイドの人はクラシックサイドのテンポがあるようなないような曖昧さに違和感を感じ、逆にクラシックサイドの人はポップサイドの音の長さとニュアンスの曖昧さに音を上げるってなことらしい。
で、ティボーデのエヴァンスだ。事前に採譜されたものを何度も聴いただろうし、ニュアンスも理解できていたはずだろうが、なにぶんこれまでの体験にない曖昧さに関しては再現の手だてがなく、プレイバックでほんとに納得していたかすら怪しいと勘ぐりたくなってしまう
失敗しているとも言えないが成功しているとは言い難く、どうしてこんなものを録音したんだと、どうしてこんなものを買ってしまったんだということに尽きる。
以前、ブランフォードがクラシックの楽曲にソプラノサックスでチャレンジした際に、クラシックのプレイヤーがかなり悪評を書いていたが、やはりジャンルの壁はあるようで・・・・。