2007年 7月30日 内田光子さんとモーツァルト
モーツァルトのことを「社内メモのような作品が多過ぎる」と言ったのはグレン・グールドだ。少し笑える。僕らの時代、モーツァルトと言えばイングリッド・ヘブラーだった。それはそれは軽やかに彼女は弾いた。それに、モーツァルトの曲はとてつもなくスムーズだから、いつの頃からか「もういいか」と思うようになり、聞くことが少なくなっていった。ランパル。ラスキーヌのフルートとハープの協奏曲とランスロのクラリネット協奏曲がAB面だったLPが最初に買ったアルバムだったし、充分聞いたってなものだった。
数カ月前、ベルリンフィルの2006年ジルヴェスターコンサートの再放送を観た。モーツァルトの協奏曲20番をやっていたのだが、これがすごかった。イメージしていたモーツァルトとは違うものに聞こえ、「えー、こんなにモダンだったか?」と驚いた。テレビに釘づけになり、引き込まれた。あまりにも惹きつけられていたものだから、録画することを思いついたのが3楽章の途中だった。全ての楽句が新鮮に響き、ピアノの音色は瑞々しく迫ってきた。

内田さんは表情が豊かで、失礼ながら顔で弾いているように思っていたのだけど、この夜は一層際立っていて、木管とフレーズのやり取りがある部分では、木管奏者の方を見ながら口ずさみ、ピアノでそのフレーズを引き継いだ。最早、オーケストラとピアニストではなく、彼女自身がモーツァルトの音楽そのものになったように見えた。いや、素晴らしかった。さすがにラトルとベルリンフィルも見事だった。
それで、僕はすっかり内田ファンになってしまい、彼女を聞けるものを探しはじめた。コンチェルトは、大体ソリストが突っ走り、オケが慌ててついていくパターンが多い。クラシックに限らず、ライブはその傾向がある。奏者は出て来るアドレナリンに追随してしまうわけだ。同じコンチェルトを内田さん自身の指揮で弾いているビデオ(モーツァルト、協奏曲13番、20番DVD)があるのを発見して購入。
2001年のザルツブルグの演奏会のもので、決して悪いものであるはずもないのだけど、オケも内田さんも少し硬いように聞こえた。それは、あくまでもベルリンフィルとのものと比べての話だが、一人2役は大変なのかも知れないし、僕の耳がおかしいのでなければ、彼女がまだまだ進化しているのかとも思える。
内田光子さんは1948年熱海生まれ。外交官であった父親と共に12歳でウィーンへ。今では、主な言語がドイツ語らしい。話すことは出来るが、英語は少し違和感があると仰っている。イギリス在住。


モーツァルトのソナタ全曲を録音し、最近はベートーヴェンの全協奏曲の録音が終わって、ピアノソナタ(30番、31番、32番)の録音に入った。明日あたり次のものが出る筈だ。
DVDには彼女のドイツ語でのインタビューも収められている。その中で、彼女は手がけた多くの作曲家、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シェーンベルク、ショパンなどに深い理解と愛情を持って言及し、それを聞いてまたまたファンになってしまうのだ。
そして、そのインタビューを次の言葉で締めくくる。「半ば冗談で言わせてください。もし70歳まで生きていたら、バッハの前奏曲とフーガを、全48曲を観客の前で演奏したいとね」
彼女が、今最も重要な世界的なピアニストであることは間違いないと思えるのです。
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