Gary McFarland

 ジャズのアルバムはFM放送などで聞くことも出来たし、先輩に教えられた市内のジャズバーにもこっそり通って多くのものを聞いた。しかし、聞けるものは主流のものであり、風変わりな傾向のあるものは滅多に聞けなかった。そんな折り、ジャズ雑誌の海外盤紹介の小さな記事でこのアルバムのことを知った。17才のころだ。



 Gary McFarland 「Profiles」1966年2月6日、リンカーンセンターでのコンサートの記録で、記事には「リンカーンセンターでの実験」と紹介されていた。マクファーランドが特別編成したオーケストラでオリジナル楽曲を演奏しますというもの。当時、ビッグバンドといえばエリントン、ベイシーなどが牽引していて、それに連なる系統のサウンドのものがほとんどだった。記事の「実験」という表現は、なにか風変わりなことをやっているに違いないと思わせる響きがあった。レーベルもコルトレーンの属するインパルスで、プロデューサーはボブ・シールだ。これはおもしろいに違いないと勇んで注文した。直輸入盤でしか入手できなかったが、田舎町のレコード店に注文して、ずいぶん待たされたが、入手することが出来た。

 

 トランペットとトロンボーン2,ホルンで構成されたサウンドは、メジャー7系の簡単なものだったが、当時は衝撃を受けた。こういったサウンドの好みは、当時周りで受けの良かったショスタコヴィッチの交響曲第5番の流れがあった。二楽章の途中にホルンがメインになるくだりがあって、それは長7度の響きだった。それに至るまでも、ホルンのキーで言えばCの上でHとAが鳴ってどぎついのだけど、この譜面で3拍子になって5小節目の音程にやんやの喝采をしていたのだ。私らの流儀で言えばFメジャーセブンということになる。

 

 さらにブルースもチューバとトロンボーンで組み立てられたパターンにワクワクさせられた。

 

 ソリストはクラークテリーと、フィル・ウッズ、ズート・シムスがメインで、他にもジェローム・リチャードソン。ジョー・ニューマン、ボブ・ブルックマイヤー、ジミー・クリーブランドなどが名を連ね、リズムセクションには、ジプシー風味のギターで一世を風靡したガボール・サボとベースの売れっ子リチャード・デイビスが参加していた。ピアノはなく、指揮をするマクファーランドがヴァイブとマリンバを担当している。フィル・ウッズとズート・シムスがソロでフィーチュアされたものなどは、それまでのビッグバンド・ジャズと異なるものでもなかったが、そのバックで聞けるわずかなサウンドに狂喜したというわけだ。のちに友人に貸したっきりになっていたこのアルバムを、2年ほど前に中古で手に入れることが出来た。ほぼ50年ぶりに聞くと、聞いた当時ほどの衝撃はなかったが、このアルバムこそがマクファーランドとの出会いだった。同じ年、マクファーランドはピアノのスティーブ・キューンとのアルバムを発表した。

 

 「October Suite」(10月組曲)はキューンのアルバムだが、全曲マクファーランドのオリジナル曲で、弦楽四重奏と管楽器4人を従えるものが3曲ずつ収められている。このアルバムはアナログ盤で散々聞き、CD化された後も聞き続けて今に至るもので、未だに飽きることがない。聞く度に新たな嬉しさがある。

 

 ロン・カーターのベースパターンに、ストリングスが入ってくるところなどに感動していたのだ。Gマイナーのナインスが導く短2度にググッと来ていたわけだ。ここでのキューンはパーカッシブに打鍵する場面が多く、いわゆるジャズのクリシェに陥ることはないのも新鮮だったし、何よりも全曲通して縦横無尽にベースを奏でるロン・カーターが、いつになく楽しんでいるようにも聞こえ、アルバムとしての完成度は更に高まった。

 

 キューンの叙情性も遺憾なく発揮され、それはマクファーランドの曲との相性がピタッとはまったとも思えるし、マクファーランドはマクファーランドで、キューンの感性を信じ、あえて書き過ぎないように心がけたと仰っている。マクファーランドはボサノヴァ系のアルバムが筆頭に掲げられ、キューンもこの当時よりは保守的な表現をすることが多い、50年以上も聞き続けることができるものなどそう多くはないから、このアルバムは一期一会のありがたい展開が具体化された名盤で間違いないのだ。

(4/5・2015)

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