クラシックから、いきなり現代音楽へ

 さて、中学一年の終りから吹き始めたクラリネットは、高校に入ってからも飽きることなく続いた。クラシック音楽を聞くのが趣味というほどのものではなかったが、同級生などとの交流の中から自然にシンフォニーなどに触れる機会も増えていった。中学生の頃からすでに、遊びに行った音楽教師の家でブラームスなどに聴き入って教師を驚かせた同級生もいた。先生に言わせれば「ブラームスのシンフォニーに聴き入ることが出来るというのは余程のことだ」らしく、平原くんは40分ほど二階に上がったきりだった。 

 

 ジャック・ランスロのクラリネットの少々ウェットな音色が気に入っていて、カップリングされた「フルートとハープのための協奏曲」(これはランパルとリリー・ラスキーヌ)も繰り返し繰り返し聴いた。

 道を踏み外したというものでもないが、健全な流れは急カーブであらぬ方向へ流れ始めた。兆候はショスタコーヴィッチの交響曲5番あたりから始まった。10代の耳は進化するのも速い。いわゆる伝統的な和声の響きに飽き足らなくなり、次なる刺激を求めるようになっていく。
 ある日、書店で「音楽芸術」という幾分大袈裟な名の雑誌を見かけた。どうやら日本のクラシック界の作曲家などに焦点を合わせた雑誌らしく、だいたいは小難しい文章で埋められていた。
 しかし、そのようなエリアが存在するということは興味深かった。いくつか聴いた日本の作曲家のものには、西洋の肉食のおっさんたちが作るものとは違う、より繊細なテイストがあった。

   間宮芳生・弦楽四重奏曲

 これは僕にとっては既成のものをぶっ飛ばすロックのようなものだった。何よりも、このような世界があって、これが記譜され、それを読んで演奏する人たちがいるということだけでも田舎の高校生には驚きだったのだ。

 

 高校時代を過ごした佐賀は田舎町ではあったが、少々珍しい喫茶店があった。クラシック音楽のレコードをかけてくれるのだが、店が用意した手書きのレコードメニューがあって、その中からセレクトするようになっていた。それで、このメニューにある楽曲が現代のものに限られていて、ベートーヴェンやバッハは無論のこと、ドビュッシーだってないのだ。ストラヴィンスキーがあったかどうかは定かではないが、プーランク、ミヨー、コープランドなどを聴いたことはよく覚えている。その「プリンス」という名の喫茶店は誰が店主かも判らず、しかし徹底した趣味のレコード類にすっかりやられて、何度も通いほとんどのレコード(50枚は下らなかったはず)を聴き、いつ行っても他の客がいることは珍しく、不思議な時間を過ごすことができたのだ。たぶん日本全国探し回っても、あのような喫茶店にお目にかかることはないだろう。

 上のレコードの演奏者の内、ファーストヴァイオリンの小林健次さんの印象はことさら強く、凄い人だなと50年近く思い続けていたわけだが、その後の消息については、まったく知らなかった。

 

 しかし、今回調べてみると、ホームページなどが存在するものではなかったが、鈴木メソッド関連のページで最近の写真を見ることが出来たので、そこから拝借した。退職されたようだが、桐朋学園で教授をなさっていたらしい。


(5/15・2014)

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