テレビのMX-TVなどでアメリカの音楽が盛んに紹介されていたころ、突然耳を奪われた音楽が聞こえた。それがサーフェイスだった。シンプルなサウンド構成と中性的な歌声が見事にマッチしていた。メロディラインはソウル系のペンタトニックなんだが、それを支えるハーモニーがまさに目からうろこだった。
彼らのアルバム「3 Deep」は思い出深いアルバムになった。なにしろこのアルバムの全楽曲を採譜してしまった。学ぶべきことが詰まったアルバムだった。
ここで聞かれる多くの分数コード、何よりもsus2あるいはadd 9と呼ばれたサウンドが時代を物語っている。

私的には、当時ポップスのサウンドに興味を持ち手当たり次第に採譜していたのだが、彼らの楽曲がそれに拍車をかけた。
グループはヴォーカルのバーナード・ジャクソン〔Bernard Jackson)フルートとベースのデヴィッド・コンリー(David “Pic” Conley)ギターのデヴィッド・タウンゼント(David Townsend)で構成されていた。それぞれが、キーボードもプログラミングもコーラスもこなした。
バンドは音楽家を目指すバーナード・ジャクソンがコネチカット州スタンフォードからニューヨークに向かう際に、町の有力者から自分の甥のデヴィッド・タウンゼントを訪ねてみなさいとの助言を受けたことから始まった。
デヴィッド・タウンゼントはソングライターのエド・タウンゼント(Ed Townsend)の息子で、エドはシンガーとして多くの楽曲を発表しているが、マービン・ゲイのヒット曲「Let's Get It On」の作曲者としても知られている。
当時アイズレー・ブラザースでギターを担当していたのがタウンゼントで、そのバンド「Sunrise」にはドラマーでライターのEverett Collins 、ベースのTony Herbertがいた。タウンゼントは以前 L.A. 70s bandに在籍していて、そこでメンバーとなるデヴィッド・コンリーと知りあっていた。
程なくタウンゼントとコリンズはニュージャージーで作曲家としての活動を始め、「サーフェイス」という名前でのバンド活動も始めた。その時のヴォーカルはKaren Copelandだった。しかしながらメンバーは流動的だったようで、コリンズがいつ抜けたのかははっきりしないが、バーナード・ジャクソンが現れ、彼がベースとヴォーカル担当で加わった時からトリオになったらしい。当初、彼らの主な活動はEMIのライターとして多くのグループや歌手に楽曲を提供することだった。ニュー・エディションの「Let's Be Friends」Sister Sledgeの「You're Fine」が知られている。この成功によって彼らはバンドとしての活動に積極的に取り組むことになった。
シングル・リリースされた「Falling in Love 」(1983) がイギリスのチャートでランクインし、「When Your Ex Wants You Back」 (84)はアメリカでもランクインした。この時期の楽曲は後の甘い感触のものよりリズミックなものだったが、彼らのサウンドの作り方は、プログラミングの手法などほぼ出来上がっている。
トリオは拠点をロス・アンジェルスに移し、1986年コロンビアレコードから1stアルバム「Surface」をリリース。この中から「Let’s Try Again」US.R&B 22「Happy」U.S hot 20・R&B 2、「Lately」U.S R&B 8などが次々にヒット。さらに2ndアルバム「2nd Wave」からは「Shower Me With Your Love」「Closer Than Friend」「You Are My Everything」が立て続けにU.S R&Bチャートで1位にランクされ、彼らへの評価は高まっていった。ここまでの楽曲は、ベスト盤として発売された「The Best of Surface...A Nice Time for Loving」が情報源になった。
彼らの最大のヒット曲は上の「3 Deep」に収められた「First Time」で、全米ヒットチャートの1位を記録した。この曲は1986年にジャクソンが友人のブライアン・シンプソンとデモテープを作成したもので、アルバムには収められず長い間未発表のままだったが、このアルバムに収められて大ヒットすることになった。
ずいぶん後にショップで「Love Zone」を見つけて嬉々として買った。相変わらずのサウンドだったが、少し陰りがあるようにも思えた。それは言葉で説明できない停滞感のようなものだった。
最近、そう言えば彼らはどうしたのかと調べてみて驚くことになった。1994年、タウンゼントとジャクソンが脱退し、グループは消滅してしまっていたらしい。「Love Zone」は1998年に再結成された際のアルバムだった。
それで、活動を再開はしていたのだが、2005年にタウンゼントが自宅で亡くなっているのが発見されて全ては絶たれてしまったという。タウンゼントは父親の死の2年後に死因不明のままこの世を去った。
デヴィッド・コンリーもバーナード・ジャクソンもそれぞれに活動を続けているが、Surfaceとはまったく異なる印象であるのはやむを得ない。コンリーはフルートででのバンド活動で、ジャクソンはソウル歌手としてアルバムを作り続けている。しかし、歳を取りジャクソンの声は変わった。当時は20代から30代、今は50過ぎで仕方ないことなのだが、あのアルバムの若く瑞々しい声とサウンドが時代を作ったとも言える。ある時期、人の結びつきと個々の能力が見事に一致して、とてつもない輝きを見せることがあるということらしい。
2017・2月1日