2007年 10月10日
George Colemanが今年のモントリオール (Montreal Jazz Festival)に、マイク・スターン (Mike Stern) 、ジミー・コブ (Jimmy Cobb) 、バスター・ウィリアムズ (Buster Williams) と共に出演した。それは1963年のマイルス・デイビス (Miles Davis) とのステージを思い起こさせたらしい。で、その時の楽屋でのインタビュー記事を読んだ。
循環呼吸、グロー、ハーモニックスなどを効果的に使っていらっしゃるようですけど。
循環呼吸はスライド・ハンプトン (Slide Hampton トロンボーン奏者・コールマンは1959年に彼の8重奏団に参加) から学びました。それより以前、周りにいた友人達からスラップタンギングとかフラッターとかを教えてもらいましたし、高校時代の教師オンジー・ホーン (Onzie Horne)から和声も学びました。オンジーは素晴らしいアレンジャー、ピアニストでした。
サックスを始めて13年目にマイルスのバンドに加入されたわけですが、経緯を教えてください。
ニューヨークでのギグの時に、コルトレーンの楽器を借りてステージに上がりました。その時マイルスは初めて私を聞いたと思います。勿論マウス・ピースから何から、全てコルトレーンのものでした。優しい人でした。一年後にマイルスから電話がかかってきました。その日はトロントでの仕事が入っていましたから、それを伝えると、「それをキャンセルして俺と一緒に来るんだ。その方が〔その仕事をキャンセルして行かない方が)彼らには親切ってなものだろ?」と言うのです。マイルスには、そういったひねくれたユーモアのセンスがありました。
マイルスの伝記には、トニー・ウィリアムズ (Tony Williams)がエリック・ドルフィの加入を望んだとの記述がありますが。
トニーは極端な先進性を望むところがあり、私はコードチェンジを演奏したかったのですが、彼はもっとアウトした演奏を期待していたのです。ある夜、サンフランシスコのJazz Workshopで、ロン、ハービー、トニーはアヴァンギャルドな実験にチャレンジしていました。「 Walkin 」の演奏が始まり、マイルスはソロを終えるとシャンパンを飲むためにステージから降りました。それで、私はアウトサイドのソロを演奏しました。彼らは驚いたようでした。しかし、そのような演奏が私にとってチャレンジであったわけではありませんでした。メンフィスでの子供時代、ミンストレル・ショーで演奏するポパイ(Popeye)という名の男がいました。彼はオーネット・コールマンのように演奏しました。だからアヴァンギャルドなアプローチは知ってはいましたが、私はそれを望まなかったのです。
George Colemanは60年代のマイルス・バンドでのキャリアが殊更大きく取り上げられるサックス奏者なわけだが、そのマイルス・バンドでの立場は微妙だったらしい。気鋭の新人リズムセクションの面々は、彼に対してあまり好意的ではなかったかのような言われ方が伝わっている。例えば、インタビューでも訊かれているように、ドラムのトニーは冒険のない彼のプレイが好きではなかったらしく、エリック・ドルフィーとかサム・リヴァースとかを入れるように何度もマイルスに進言したとも聞く。
「Maden Voyage」に参加させた筈のハンコックにしても然り。「フットプリンツ」(評伝ウェイン・ショーター、ミシェル・マーサー著 新井崇嗣訳・潮出版社刊)によると、ヴィレッジ・ヴァンガードでの記念パーティでハービー、ロン、トニーがトリオを再結成した際、旧交を温めようとバックステージに現れたジョージを参加させることなく、「ありえないね」と冷たく言い放ったという。
何があったのかは知らないが、いやな感じだ。
マイルスのバンド時代の事について語っている彼の言葉も若干ある。当時、ロン、ハービー、トニーは新進気鋭の若手で、コールマンは幾分年上だった。リズムセクションは少々攻撃的な面も持っていたと認めている。マイルスはコルトレーンの後釜としてウェイン・ショーターを考えていたが、ショーターはブレイキーのバンドを離れることが出来ず、コルトレーンに相談してコールマンを加入させた。リズムセクションはショーターの加入を心待ちにしていた。彼らにとってはコールマンはつなぎ役だったのかも知れない。しかし、4枚のアルバムを残した。
コールマンのソロはスムーズだ。マイルズに言わせれば「ヤツは完璧に演奏する。そこがトニーは気に入らなかったらしい。トニーはもっと冒険するヤツを好んだ」ってなことになる。
コールマンのソロが単調に思われるとしたら、彼が好んで使った上のような順次進行のラインが関係しているかとも思われる。しかし、最初の参加アルバム「Seven Steps To Heaven」のラスト、「Joshua」でのソロには舌を巻く。この曲はDminor7の下りが24小節あって、そこから3拍子が6小節、4拍子が2小節のブロックが3回繰り返される。テンポは速く、神経症になりそうな構成だ。ライブではさらに速く演奏されている。マイルスは拍子が変ったことに気付かないようなクールな演奏に終始していて驚くばかりだが、コールマンだって相当スムーズに展開する。コールマンはアルバムではマイルスより多い3コーラスのソロ。(本当は4コーラスあったかも知れない。と言うのも、途中で不自然な繋がりが一ヵ所ある。それはコールマンだけではなく、ハービーのバッキングも唐突に聞こえる。テオ・マセロが鋏を入れた可能性もある。ソロ進行は謎が多い。24小節-3拍子ブロック-12小節が一区切りのはずが、コールマンのソロ時には途中から12小節-3拍子ブロック-12小節になっている。)
ま、この後に加入したショーターの同曲での演奏がビデオで聞けるわけだが、これはとんでもない。自由奔放なソロラインに圧倒される。マイルスはコールマンもありだっただろうが、ショーターの放つスリルに参っていたわけだ。で、部屋での練習に金を払う気はないとか言って頚にしたそうだが、真相は分らない。
「それは、僅かに1年と数ヶ月に過ぎない期間でしたが、私にとっては中々貴重な経験でした。私は大いに学びましたし、以前より自由にもなりました。」
しかしながら、マイルスのドキュメンタリー番組で同時代のロン、トニー、ハービーの事は触れられているのに、2時間の間一度も自分の名前が出てこなかったことに驚きも隠せない。マイルスの重要なアルバムにクレジットされているのに「無視かヨ」ってなところだろう。彼は故意とも思えるこの扱いに当惑していて、「I don't know why. I really don't know why」と嘆いている。
ま、ジャズは格闘技じゃないんだから、勝った負けたであるはずもなく、しかしながらリスナーはどうしても順番を決めたいらしく、より刺激的なものを良いと評価して納得するわけだが、そんな聞き方で疲れないかと思うわけだ。コールマンは自分の耳に従っただけで、彼に聞こえていたサウンドが彼の音楽なわけだ。
自分の音を探すとはそのような事で、刺激的なラインを真似する事じゃない。
チャーリー・パーカーの影響下でサックスを始めた彼は、1952年17才の時にB・B・キング(B.B. King)のバンドにアルト奏者として参加。レイ・チャールスなどとも共演を重ね、55年にはテナー奏者として再びB・B・キングバンドへ戻った。基本的にメンフィスのブルース畑出身とも言える。56年、ブッカー・リトル (Booker Little) と共にシカゴへ進出。58年、マックス・ローチ (Max Roach)に誘われてトランペットのケニー・ドーハム (Kenny Dorham) を擁する彼のバンドに加入。ブッカーがケニーの後に加入して、都合2年間マックスと演奏。
1964年からは、ライオネル・ハンプトン (Lionel Hampton) 、リー・モーガン (Lee Morgan) 、エルビン・ジョーンズ (Elvin Jones) 、チャールズ・ミンガス (Charles Mingus) 、ベティー・カーター (Betty Carter) 、チェット・ベイカー (Chet Baker) 、シャーリー・スコット (Shirley Scott) 、チャールズ・マクファーソン (Charles McPherson) 、 シダー・ウォールトン (Cedar Walton) などと演奏。
教育方面でも熱心で、数々の大学で教鞭を執り、1997年にはJazz Foundation of America's Life Achievement Awardを受賞。現在72才で引退を口走るものの、作編曲を手がけるオクテットを率いて活動中。若いミュージシャンとの交流も多く、サンボーンやエリック・アレキサンダーの良きアドバイザーでもあるらしい。
ヒップ・ホップなどとジャズは違うんだと強調し、バラードとアップテンポとワルツを含むジャズはスペシャルだと言う。
「誰もが理解する種類のジャズもあります。グロヴァー・ワシントン (Grover Washington) やスタンレー ・タレンタイン (Stanley Turrentine) はコマーシャルプレーヤーであると思われています。彼らは如何様にも演奏できますが、マネー・ミュージック( money music)を演奏します。ジェラルド・アルブライト (Gerald Albright)もそうです。一緒に勉強もした、私の良い友人デイブ・サンボーン (Dave Sanborn) もマネー・プレイヤーですが、彼はとてもいいプレイヤーです。ま、世界中至る所に若い才能はいます。学ぶ事は大切です」
暇な時に書き続けたこの記事は妙に長いものになった。それでも、コールマンの表面しか書けていないのだが、ここまでムキになって書くのには少し理由がある。
17才の頃買ったマル・ウォルドロン(Mal Waldron)のサウンドトラック・アルバム「Sweet Love Bitter」の中でアルトを吹いていたのがジョージ・コールマンだった。テナーよりずっと色気のある彼のアルトがお気に入りだったのだ。中でもトリオで演奏されていた「Espresso Time」と冒頭の「Loser's Lament」のサックスサウンドは長い間指針だった。
19才頃まで、ウォーミングアップで必ずこのメロディを吹いた。
