Portrait3


Herbie Mann

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 ハービー・マンは私達の世代にはことのほか馴染み深い。彼のヒット曲「Comin' home baby」は箱バンの定番曲だった。色々な編成のバンドで演奏した記憶がある。

 初めて聴いたのは17才の頃。ライブ盤だったと思うが、「サマータイム」の粋なフルートに参った。
 彼はいわゆる「ワールドミュージック」の研究を早くから始めていたらしく、様々なリズムを取り入れて常に前進し、70年代には「メンフィス・アンダー・グラウンド」をヒットさせて、バンドにはソニー・シャーロックと言う破壊的なギタリストを加入させたりもした。弱々しく思えるフルートにはミスマッチではないかと思ったりしたが、ヘビーなギターをも呑み込む器量がこの人のダンディズムだったようにも思う。

 ステージ衣装が、また何時もキマッテいた。気障な人にも見える。この人ほど白いスーツが似合うプレイヤーは他にいないのではないだろうか。

 意外な事に、9才の時最初に手がけた楽器はクラリネット。母親が連れていったベニー・グッドマンのコンサートの影響だそうだ。その後、テナーサックスに転向し、軍楽隊を経てニューヨークでのキャリアを積んだが、当時の音楽シーンで「レスター・ヤング」より際立つのは大変だったらしい。
 歌手カーメン・マクレーのファースト・アルバムでジャズフルート奏者が必要だと知った彼は、スタジオ入りするまでに猛特訓を繰り返したと言う。そこから、ジャズフルート奏者としての彼のキャリアは始まり、第一人者となっていった。

 今年の7月に亡くなった。73才。   Apr1930 -July 2003

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Jerome Richardson

.1920年11/15 - 2000年6/23

 この人は時代劇によく出てくる昔の、ほら、マッサージって言うか、あんま。ピーッとか笛を吹いて、、、、。 ではなくて、元祖マルチリード奏者ジェローム・リチャードソン。スタジオ・ミュージシャンの第一人者。こなすジャンルも多岐に渡り、Thad Jones & Mel Lewis Orchestraの初代リード奏者、かと思うとヘンリー・マンシーニ オーケストラの一員として来日したりした

 8才から始めたアルト・サックスで、ベニー・カーター (Benny Carter) 、ジョニー・ホッジズ (Johnny Hodges)、ウィリー・スミス (Willie Smith)などを目指していたらしい。
 プロとしてのスタートは14才。サンフランシスコ州大学 (San Francisco State College) 卒。20才の頃よりフルートを手がけ、ライオネル・ハンプトン (Lionel Hampton) などのバンドで録音。
 テナー奏者としても自身のグループ、マックス・ローチ (Max Roach) 、 Earl Hines 、オスカー・ペティフォード (Oscar Pettiford) 、ハンク・ジョーンズ (Hank Jones) 、チコ・ハミルトン (Chico Hamilton)、ディジー・ガレスピー (Dizzy Gillespie)、と本人でも忘れるのではないかと思えるぐらい多くて書ききれない。

 この人とポール・デスモンドは、駆け出しの頃、同じような場所に出入りしていたらしい。ジェロームは「あいつはまったく練習しない不真面目なやつだった。それでも上手く吹けるんだから、、オオ-ッ。」と、ポールのことを言えば、「ヤツは、何故だか知らないが、どんな楽器でもすぐにものにしてしまう化け物だった」とポールは言った。とか何とかを読んだことがある。

 ジェロームとナベサダのライブを新宿のピットインで観たことがある。双方、アルトサックスで素晴らしい演奏だったけど、ジェロームのリズムの取り方を見て、「へえーっ」と思ったことがあった。体と言うか、主に首の動きで分ったのだが、結構早い曲でも8分でカクカクとリズムを取るのだ。まったく気忙しいことなのだけど、見ているうちにこっちがカクカクカカククとスウィングしてくる。

(真似をするときの注意 8分と言っても首を振るのは4回。表と裏併せて8分だから、間違っても8回振らないように。)
 師匠にはリズムは大きく取ることなんて言われていた私としては目からウロコというか首から真珠なのだった。


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Russell Procope(as, cl)

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1908.8/11-81.1/20

. 偉大なデューク・エリントンのバンドにはジョニー・ホッジス( Johnny Hodges) ; ハリー・カーネイ(Harry Carney)ローレンス・ブラウン( Lawrence Brown)ポール・ゴンザルベス( Paul Gonsalves)クーティ・ウィリアムス(.Cootie Williams)など、いずれも個性的な(アクが強いとも言う)キラ星のようなスターが多く在団した。
 野性的でしかもエレガントなサウンドは彼ら無くしてはあり得なかったし、今では聴くことの出来ない音楽の原点とも言うべきエネルギーがあった。

 16才の頃、先輩が「エリントンをテレビでやる!!」と大騒ぎするものだから、名前を知っているという程度の私も見ることになった。何だか分らないが、随分と乱暴なバンドに聞えた。エリントンのピアノはまだしも、出てくるプレイヤーがどいつもこいつも野獣のようなソロをする。こんなものに騒ぐ先輩は大丈夫だろうか?と心配したぐらいだ。

 見終わって、テレビから次の番組のテーマ音楽が聞えた時に、「アレッ」と思った。随分と平坦でつまらない音楽に聞えたのだ。高速道路を140キロぐらいですっ飛ばして来たのが、いきなり一般道に出たような感覚だった。つまらなかった。

 しかし、ここで紹介するのはラッセル・プロコープ。上にあげたキラ星のような大スターほど目立たなかったアルトサックスとクラリネット奏者。ただのオッサンにも見えるこの人は、クラリネットのソロが印象深い。
「ムード・インディゴ」の妖しいソロはこの人のものだった。エリントンのライブビデオで、ラッセル・プロコープとクーティ・ウィリアムスの対談風バンマス思い出話が挟まれるものがあった。
 彼は「ムード・インディゴ」のソロについて、「俺はこの曲のソロを28年間毎晩のように吹いた。でも同じようには吹かなかった。工夫して、毎晩少しずつ変えて吹いた」と語っていた。」
 とても誇らしげに語るラッセル・プロコープを好きになった。
 演奏家として羨ましいのはこういう人だ。(1945年から28年間在団) 

 


John Lewis


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最近はMJQと言うとマンハッタン・ジャズ・クインテットのことを言うらしい。冗談ではない。ジョン・ルイス率いるMJQ 以外にそんなものがあってたまるものか。  生憎、私はヴァイブという楽器が苦手で、MJQそのものはあまり聴かなかった。ヴァイブが大嫌いというほどでもなかったが、どうも音色の輪郭があやふやに思え、しかもヴァイブ奏者はエキサイトすると、鍵盤をこれでもかと殴りつけるようにも見える。  気持ちは分かるが、殴りつけるって言ったってアノ頼りなくしなるマレットだ。イメージとしては菜箸(さいばし)でシンバルを叩いているような隔靴掻痒感があるのだ。いや、実際そうだとは言わないのだが、イメージの問題ネ。

 さて、ジョン・ルイス。チャーリー・パーカーの時代から活躍したピアニスト。ケニー・クラーク (Kenny Clarke)との親交は彼を大きく飛躍させたようだ。アレンジャー兼ピアニストとしてのディジー・ガレスピーバンド (Dizzy Gillespie Band) 、Miles Davisの{Birth of Cool 」への参加。
 ニューメキシコ大学 (University of New Mexico) で人類学と音楽を 学び、マンハッタン音楽院 (Manhattan School of Music)ではルネッサンス (Renaissance) とバロック 音楽(対位法)を習得。聞きしに勝るインテリ、、、。

 MJQは最初ケニー・クラークをドラムとして発足。しかし、最初の名前はミルト・ジャクソンカルテット (Milt Jackson Quartet)。これでもMJQなのだが、ジョンがリーダーとなった時にモダン・ジャズ・カルテット (Modern Jazz Quartet)に変えたらしい。

 ジョン・ルイスはMJQ の活動(22年間!)の傍ら、進歩的な流れにも敏感で、オーネット・コールマンが登場したときに一早く支持し、レナード・バーンステイン等とともにエールを送った。第3の流れ(third Stream)という試みにも参加して、幾つか難解な?アレンジメントを聴いたことがある。

 しかし、この人を本当に凄いなと思ったのは、MJQの 作品を真剣に聴くようになった10年前ぐらいからだ。確固たる書法に貫かれたアレンジもさることながら、彼のピアノには一点の曇りもなく鮮やかなラインが聞えてきたのだ。ジャズにはいろいろな形があるけども、この人のやり方は日本の伝統工芸の職人さん達に通じるつつましい厳しさがある。

 

03.9/23

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