Portrait5

Charlie Parker  1920-1955.


 クリント・イーストウッド制作の映画「BIRD」の評判はあまり芳しいものではなかった。しかし、古いレコードの中からパーカーの音だけを抜き出し、新しくバッキングを作り直して画面に合わせたというだけでも充分に価値があると思う。


(特に好きなのはガレスピーが「オーニソロジー」を演奏しているところにラリったパーカーが遅れてやってきてソロを吹き出す場面だ。その前に適当なフレーズを聞かせ、ソロを吹き始める場面は何だか本当にそうだったような気になるのだ)
 見ているうちに「ああ、こんな演奏生で見たらプレイヤーなんか辞めてしまうかも」と思ってしまう。

 チャーリー・(バード)・パーカーのサックスこそがJazzだと言われれば誰も否定は出来まい。1944年、カンザスシティからニューヨークにやってきた若者は、およそ10年の間ジャズ界を席捲、ビ・バップの立役者として観客を熱狂させ、演奏家を鼓舞し続けた。ビ・バップ・ムーブメントは、メディアが勝手に命名しただけのことだとも言われているのだが、新たなジャンルを確立したかのように聞こえたパーカー達の先進性はそれだけ衝撃的だったという事かも知れない。パーカー以前にもコールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、ジョニー・ホッジス、ベニー・カーター 等々、重要なサックスプレイヤーは多い。

 では、何が新しかったのか?

 ディジー・ガレスピーはビ・バップの特質を「リズムの進化」だと語っていた。
 それまでになく細部化されたアクセントの位置こそが革新的で、ソリストが奏でる変幻自在なシンコペーションのラインは、ピアノ、ベース、ドラムなどにも変革を迫ったというわけだ。それまでは使われなかった音が和音の中に加えられ、より豊かで複雑な色彩感溢れる音楽へと進化した。バド・パウエル、ケニー・クラーク、チャーリー・ミンガス、次の時代に向かって多くの才能が開花した。
 以前のJazz が持っていた可能性を極限にまで高め、客相手の御機嫌伺的な側面を排除した誇り高い音楽が誕生した。

 ムーブメントの中で大きな推進力を持っていたのは、むしろディジー・ガレスピーだったのだけど、ビ・バップの代名詞と言われるほどのカリスマ性をパーカーは持っていた。

 私は若いころパーカーに興味がなかったのだが、その凄さが分ったときは時すでに遅しと言う案配で恥ずかしい限りだ。当然何枚かのレコードは聞いていたし、コピーもした。スウェーデンのライブ海賊盤では後期パーカーがかなり攻撃的なチャレンジをしているのを聞いてぶっ飛んだこともある。
 しかし、ことパーカーに関しては模倣者が多すぎた。
 本物を聞く前に、彼のフレーズの流れ方などを真似た亜流をそれこそ山ほど聞かされて、それだけでお腹一杯感もあった。ま、言い訳してもしょうがないとは思うのだが、聞き返す毎に凄まじさが増すように思える厄介な天才だと思う。

 音色、フィンガリング、リズム、誰にも増して滑らかで、一言で言えば薄気味が悪い程だ。よどみなく流れるラインは閃きの連続、速いパッセージの合間に挟まれるメロディは実になまめかしい。モティーフを自在に操る構成力はほとんどマジックに近い。

 パーカーの本も何冊か読んだ。実際のところ彼がどのような人物だったかはよく分らない。マイルス・デヴィスはパーカーと深く関わりあった一人だが、音楽以外のことではかなり辛口だ。パーカーの演奏家としての歴史は常にドラッグとともにあったようだ。ヤク中の演奏家が常に高潔であるわけもなく、周りに多大な迷惑をかけたことは間違いない。自己中心的な一面が周りを混乱させ、突風のように周りをなぎ倒したとも思える。

 個人的に好きなのはパリに行ったときの話だ。新しい物好きのフランス人の歓迎を受けてのレセプションで、あの哲学者サルトルに紹介されたそうだ。
その席でパーカーはテーブルの上に飾ってあったバラの花びらを食べちゃったらしい。
 どんなメッセージなのだ?
 (映画ではステージ上で食べる場面がある)

 作曲家ヴァレーズに教えを乞い、改めて訪問する約束は果たせぬままに他界したのだけど、パーカーの耳には何が聞こえてたのかと興味深い。

(余談だが、パーカー作曲とされている「ドナ・リー」マイルスは「あれは俺が書いた曲だ。レコードが出る時にSavoy が間違ってクレジットしたんだ。まあ、あれが初めて録音された自分の曲だから特別文句はない」と言っていた。たぶん間違いなくマイルスの曲だろう。パーカーの書いた複雑な曲もあるが、曲想はもっと人懐こい響きがする。
 「ドナ・リー」はパーカーにしては理屈っぽい。)





Ornette Coleman...


 オーネット・コールマンはパーカーの後に現れた変革者の一人だ。19才の頃タウンホールのライブ盤を買った。B面に弦楽四重奏作品が収められているやつだ。オーネットの艶やかなアルトサックスとデヴィッド・アイゼンソンのベースに参った。何をやっているかなんて分るはずもなかったのだけど、ジャズに感じていた妖しさと、何よりも時代を突き抜けていく新しさがあった。

 Key に到達するための伝統的なハーモニーの流れの中での演奏に関して、「その場合、私は演奏する前に自分の吹くことを書くことが出来るだろう。それは私が望んでいる音楽のやり方ではない。」と、来日時のインタビューで語った。常にあらゆるものから解放された状態での演奏をオーネットは望んだわけだった。

 彼の音楽が好きだったのは、基本的にブルースが聞えていたことだ。
 それに攻撃的な所だけじゃなく、叙情性がまた秀逸だったと思う。

 よく分らなかったのがヴァイオリンを弾くことだった。楽器をマスターしているとは思えなかったし、ギコギコと癇に触る音がスピーカーから流れた。巨匠が何を考えているのかは分らなかったので、いつもその部分は遠慮させていただいていた。デタラメだと否定する声も多かった。しかし、そのデタラメのようなものこそがオーネットが望んでいた事だと思えば納得するしかない。表現手段としてのやり方に間違いなどなく、本人が望んでやる演奏方法にとやかく言うのも馬鹿馬鹿しい。

 ジャズは短期間のうちに、エンターテインメント的なものから自己表現の可能性を試すものに進化して、様々なスタイルが生まれた。過激な集団即興もあって、聴く側は呆然とするだけだった。要するに音楽的な結果を追求するのではなく、枠を壊してどうなるかが見たかっただけと言うものもあったように思う。演奏する側はそれがまた楽しかったりするのだ。言ってみれば、一つの思想であって、伝統的なものにこだわる人達には踏み絵のようなものだった。この時代、ジャズを聞きに行って、とにかくよく分らず寝ちゃったと言う人は案外多い。

 オーネット・コールマンは未だ健在だが、昔のように騒がれることもなくなった。
 しかし、一つの道を示した偉大な演奏家であることは間違いなく、彼の書いた独創性に溢れる多くの曲は、最近見直されていて評価は高い。


 


"Papa" Jo Jones..1911-1985

Jonathan "Jo" Jones.



 マックス・ローチがハイハットだけで演奏するビデオを見たことがある。演奏前、深い敬意を払うマックス・ローチの紹介を得てステージ上に現れてお辞儀をしたのがこの人だった。"Papa" Jo Jones こそがモダンドラミングの始祖ということになるらしい。


 1936年、 Count Basie (カウント・ベイシー)と共にニューヨークに進出。
 Freddie Green(フレディ・グリーン)Walter Page(ウォルター・ペイジ)とのリズムセクション!!
 以後、Illinois Jacquet(イリノイ・ジャケー) Billie Holiday (ビリー・ホリデイ)Teddy Wilson(テディ・ウィルソン) Lester Young(レスター・ヤング) Art Tatum(アート・テータム) Duke Ellington(デューク・エリントン) Coleman Hawkins - Roy Eldridge Sextet(コールマン・ホーキンス-ロイ・エルドリッジ)
 ジャズ史の中で重要な全ての演奏家と共演していたと言える。

 ビデオで見る印象では、とにかく超一流の料理人がドラムを料理していて、どんな素材もマイウな御馳走になるというのが近い。演奏している姿は余裕が有り余っていて、ドラムを叩きながらチェスぐらいできるのではないかと思えたりする。すべてがしなやかでスピード感も抜群。かゆくないところも掻きたくなるような決まり方。惚れ惚れするほどカッコイイ。例えば、スネアからライドシンバルにスティックが動くとき、どの角度が一番カッコよく見えるか調整出来そうな気がする程だ。

 この人の演奏に関しては先ずビデオを見ることを勧めたい。確か「Sound of Jazz」というタイトルのビデオでベイシーと一緒のものがある。このビデオにはビリー・ホリデイと共演するレスター・ヤングの映像も含まれていて貴重なものだ。

 "Papa" Jo Jonesの写真には昔のジャズメンらしく仕立ての良さそうなスーツで決めているものも多い。この時代のジャズメンはファッションにもこだわりがあった。
 ああた、何てえか、まったく粋だね、この時代の人達は。 


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Jim Hall  .

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 銀行員のようなこの人は?うーん、見かけは粋というのとは少し違うのだけど、ギターのジム・ホール全てのギタリストの教師とも言える。繊細なコードワークは言わば教科書で、ジャズフィールドに止まらずロックシーンのギタリストも勉強するらしい。
 私はポール・デスモンドとのクァルテットのアルバムでよく聴いた。この人が送り込むギターサウンドの上で演奏するのは相当気持ちいいことに違いない。
「時々、ポールが僕にもたれ掛かっているよう感じて嫌になることがあるんだ」とジムが言っているのを読んだことがあるが、相性は文句なくよかった。

 ソニー・ロリンズの「Bridge」。これには映像が残っている。例によって咆哮するロリンズの横で淡々と相変わらず粋なギターを疾走させているジム・ホールを見て、「野獣相手によくやるなぁ。全くムキになっているようにも見えないしなぁ。スピード負けてないしなぁ。クールでカッコいいなぁ」と思わずにはいられないのだ。

 98年録音のJIm Hallと Pat Metheny のデュオアルバムがある。これ、意外につまらない。何でも出来ちゃうメセニーはすっかりジム・ホールと同じようにやるものだから、何げに聴けばどっちがどっちだか分らない。「ギタリストとしてジム・ホールと共演したかったのだろうなぁ」という事だけはよく分るアルバムだ。

 ジム・ホールは、全く違うベクトルで動いていそうな演奏家、例えばかなりいっちゃった感のあるウェイン・ショーターなどと異種格闘技に近いところで共演しているものも面白い。きっと本人もそういうの好きなはずだと思う。ロリンズとやっている時だって、淡々と弾いているふりして、実は内心「ウヒヒヒヒ、こりゃあいいや」などと思って燃えていたのかも知れないのだ。




.Dexter Gordon 1923-1990

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 晩年、映画「ラウンド・ミッドナイト」に主演して再び脚光を浴び、そのおかげで私はこの人のライブを観ることが出来た。テナーサックスの巨人デクスター・ゴードン。 レスター・ヤングが兵役でジャズシーンから退いている時に現れた若手の中の一人がこの人だったらしい。ワーデル・グレイなどと並んでレスターの子供たちと呼ばれたそうだ。

 デクスターのアルバムは歌手Karin Krog(カーリン・クログ)との「Some other Spring」71をよく聴いた。ハード・ドライビン傾向のものも悪くないが、少しリラックスしたときのテナーの鳴らせ方が好きだ。インプロヴァイズに余裕がある分、音色の遊びが増えて艶やかさが際立つように思う。
 このアルバムでは一曲「Jelly Jelly」で歌も聴く事が出来る。メロディアスなソロの作り方も、独特のビブラートと相まってゆったりとした気分に浸らせてくれる。

 オーネット・コールマンが演奏しているのを「俺のステージで何をやってやがる!さっさと下りろ。」と怒鳴って引きずり下ろしたのはこの人だ。オーネットのやっていることが許せなかったらしい。
 私の友人は「デクスターってさ、背が高くてでかいでしょ?ああいう人は常に視界が上にあるからさ。見下ろすような大きい演奏するようになるんだよ」と言う。確かに言われりゃそうかも知れないけど、いろんな感じ方があるものだ。

 デクスターはスタンダード曲に時々気付かないほどの細工をする事がある。メロディを一音だけ半音変えたりするのだけど、それがまた良い。一番好きなものは「ラウンド・ミッドナイト」のサントラ2枚。枯れた演奏に憧れてしまう。「ああ、歳をとってこんなふうに吹けるようになるんだろうか」と思う。
 随分前に先輩のピアニストにそれを言ったら、「おまえ、気持ちは分かるけどナ、あんなもん目指しちゃダメだぞ。あれはああいうふうになっただけだからな。目指して到達するもんじゃないぞ」と叱られた。

 晩年のデクスターはタイムがずれるほどゆっくりアプローチすることが多かった。
 ニュー・ヨークでライブを観た友人によれば、「バックのミュージシャンが頼りないときはジャストで吹くんだよ。驚いたよ。使い分けしてんだよ」という事だった。

 デクスターは映画「レナードの朝」にも患者の一人としてちらっと出ていて、ピアノを弾く場面がある。


04.1/8

  

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