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Paul Gonsalves 1920-1974

. ポール・ゴンザルヴェスはD・エリントン・オーケストラのソリストとして長い間活躍した。実際、彼のリーダーアルバムも幾つかあるし、ソリストとして客演したものも多いのだけど、圧倒的にエリントンの元での演奏がいい。

 レイ・チャールスのアルバムでデヴィッド・ニューマンを差し置き、1曲テナーソロを聴けるものがある。(The Genius Of Ray Charles Atlantic 1312)
 D・ニューマンの音に慣れた耳には「オヨッ、これ何?」と聞える。ベニー・ゴルソンをずっと野蛮にしたようなサウンドと、ブルースが滲み込んでいて尚且つ斬新なライン。アメリカでは「コルトレーンやドルフィーより何年も前に調性を超えたラインを紡ぎだしていた」と言う具合に、概ね革新者としての評価を得ていたようだ。日本での評価は余り芳しくなく、ジャズファンでさえ知らなかったりする。まあ、これも時代かとは思う。

 この人には酒の話がつきまとう。かなりの酒好きだったらしいことは確かで、友人の証言によれば赤坂のクラブ「月世界」にエリントンが出演した折りに、酒ですっかりいい気持ちになったゴンザルヴェスがバンドスタンドから転げ落ちるのを目撃した。
 エリントンは顔をしかめて、手で「シッ、シッ」と追い払うような仕草をしたそうだ。その夜、彼はステージには戻らなかった。

 カウント・ベイシー (Count Basie)、ディジー・ガレスピー (Dizzy Gillespie) と演奏を重ね、エリントンの元で開花したとも言える彼のサックスは、1956年ニューポートジャズ・フェスティバル (Newport Jazz Festival) での名演と言われる "Dimenuendo and Crescendo in Blue" に代表されるような豪快なイメージが強い。エリントンはベンウェブスターの後釜として抜擢したが、最初はさほど満足もしていなかったという話もある。しかし、一年もするとゴンザルヴェスの魅力に大いに納得したということだ。

 実際、ブロー・スタイルの名演は幾つもあるのだが、静かにささやくような演奏にもシミジミと味わいがある。私にはこの人の豪快なイメージが、エディ・ロックジョー・デヴィスやジーン・アモンズなどとは少し違うものだと思える。フィーチュアされた曲の後でエリントンから「ポール!ゴンザルヴェス!!!」と紹介されたとき、彼は少しはにかみながらチョコンとお辞儀をする。エリントンのライブ映像の中にこの人の素顔を見たような気になるショットがあった。それが上のイラストだ。
 私はポール・ゴンザルヴェスというサック奏者はとても繊細な人ではなかったかと思う。
 今この歳になって彼を聞くとその思いが強い。余りにも繊細であったが故に、薬物、アルコールに走ったのではなかったかと思う。この人の残した幾つかのソロは私的にはバイブルに近い。



Gary Thomas


 一方こちらは、今や若手とは言えなくなったゲイリー・トーマス。ジャック・デ・ジョネットのアルバム「Special Edition/IRRESISTIBLE FORCES ('87)」を聴いたときの衝撃はかなりのものだった。
 全てが新しかった。何もかも飛び越えたものを感じた。グレッグ・オズビーだって相当なものだったけど、この人の衝撃の方が強かった。リーダーアルバムが早く出ないかと心待ちにした演奏家の一人だった。アルバムは次から次にリリースされ、デ・ジョネットのものはもちろんウォーレス・ルーニーのものにまでクレジットされていたから、あっという間にこの人のアルバムは棚の一部を占拠した。
 オリジナルチューンは時としてワンパターンになることがあって、なかなか入り込めなかったが、ウォーレスのアルバムでは「ドナリー」や「ジャイアント・ステップス」を楽々とこなしているものも聴けた。

 マイルスの元に一時在籍したことがあって、マイルスによれば「ボブ・バーグが疎ましくなってきたのでゲイリー・トーマスを入れて2テナーにした。嬉しいことにボブ・バーグはそれで辞めた」らしい。どこまでもナイーブなマイルスにはボブがヘビーすぎると言うのは分かる。しかし、ゲイリーだってまた違う意味でヘビーだ。で、録音は残っていない。

 マイルスが亡くなってまもなく、多くの海賊盤が出回り、随分多くを買った。中にはプレイヤーがステージ上で録ったような音源もある。フロントの音は遠く、バックのメンバーが何をしていたかがクリアーに分かる代物で、これはこれで面白い。しかも二枚組み。それはさて置き、海賊盤にゲイリーの入ったものはないかと随分探したが見つからなかった。

 この人のライブはデ・ジョネットのグループの公演と併せて何度足を運んだだろう。
 ある煙草の新製品のイメージキャラクターに起用されたときは渋谷のライブハウスに足を運んだ。「Kold Kage」(91)の頃だと思う。ステージにはコンピューターがセットされていて同期物をやる予定だったらしいが、上手くいってはいなかった。ドラムもベースも少し乱暴で、曲はややこしさだけが耳に残った。私は客席の隅に座っていて、ちょっと退屈してきたので客席を眺めてみた。大半の人がコックリコックリ状態だった。そうなのだ。聴衆というのは寝てしまうのだ。
 ある学者によれば、大きい音などを聞き続けると人は自己防衛本能が働いて寝てしまうらしい。トランス状態とはまた違う。

 若い頃からジャムセッションなどには余り参加せず、自分のスタイルを作る事を考えていたらしい彼は、出てきたときすでに完璧なスタイルを身に付けていた。
 デ・ジョネットはグレッグ・オズビーのインタビューでその驚きを語っている。若い二人のサックス奏者はデ・ジョネットに刺激を与えたわけだ。しかしながら、そこからどうするのかが難しい手元にある彼のアルバムにはリズムの事、ビートの捕まえ方、クロマティック・ラインの活用法、、、、等々凄い技が詰まっている。


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Keith Jarrett


 未だに創作意欲の衰えることのない怪人の一人キース・ジャレット。
 CDもビデオもDVDもこれ以上いらないぐらいあるのに、新譜が出るとチェックせずにはいられない巨匠であり、私は彼にとってはお得意さんと言うことになる。彼のことを扱った本は幾つかあるのだけど、その神経質ぶりは少し怖い。椅子の高さの調節に時間をかけたグールドほどの変人でもないが、神経質ぶりは似たようなものだとも言える。

 初期のスタンダード・トリオは今でも時々聴いてみるが、そこここに閃きが聞える。
 最近のものにはあの閃きが少なくなったナ思いつつ1曲採譜してみて驚いた。要するに彼は助走を止めたように思えるのだ。最初から全開で突っ走る。言わば「全部が閃きでんねん」
 一聴するとバップもどきに聞えていた彼のラインにはバップのクリシェが殆ど出てこない。それは多くのピアニストも指摘することなのだけど、結局バップがリズムの革新であることを最も理解しているのかも知れない。で、教科書にはなり得ず、鑑賞者として聞かせていただくことに相成る。恐るべしキース。
 盛り上がってくると立ち上がり、足踏みをし、もうピアノを抱きかかえそうにまでなる。呪文のように唸りだし、天井を見上げ、まさか計算しているわけではないのだろうけど、スルスルと左指は鍵盤を駆け降り、最後の音を叩いたと同時に全く見事なタイミングで立ち上がる。全くにくいネ。ま、大きい声では言えないけど、ある意味ナルシストなんだナ。


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Chet Baker


 チェット・ベイカーは晩年の作品にやられっぱなしだった。東京公演のビデオは最盛期を過ぎた感はあるものの、スキャットでのアドリブラインのセンスのよさには本当に参ってしまう。元々過激なプレイヤーではないし、ジャズ入門編と言うか甘いイメージでとらえられていることも多い。甘いマスクと甘い歌声で一世を風靡し、ジャズリスナーの底辺を広げた功績はあるかも知れない。

 この人のソロを聴いていて凄いと思うのは、選ぶ音が何時でもピンポイントだと思えることだ。無駄口の少なさは見事で、聴いた後に我が身を振り返り反省することもしばしば。

 薬物禍は付きまとった。亡くなったときも、ホテルの窓から身を投げたのは自殺ではなく、実はその筋の奴等に落とされたなどという物騒な話もあった。今のジャズメンは概ね健康頭脳明晰系が多く、パーカーから連なるジャズ黄金期の世代とは様相が異なるのだけど、この人などは前の世代の典型的なタイプの一人と言えるかも知れない。
 ビル・エヴァンスにしろチェット・ベイカーにしろ、美しい音を紡ぐためにどれだけの心血を注いでボロボロになっていったのだろうと思う。

 


.Bobby McFerin 


 ボビー・マクファーリンは紛れもなく天才だと思う。いきなりグラミー賞と言うのもよく分かる。驚いてしまうのは、やはりソロ・パフォーマンスに尽きる。単音でここまで自由になれることはとても羨ましく憧れる。右手で胸を叩いてリズムを出す。ベースラインを歌いながら左手はベースを弾いているように動き出す。それだけでもウキウキするのだけど、そこからの展開が絶妙なのだ。

 何時も、何でも音楽にしてしまう力を彼には感じる。椅子をたたきながらカリプソを歌う。カメラマンのシャッター音をビートに変えてしまう。何てヤツだと思う。

 彼の秘蔵ビデオが家にはある。一時期ヴォイセストラなるアカペラグループを率いていたときのライブだ。これは空いた口が塞がらない。10人余りのメンバーも凄いのだけど、そのメンバーを使って音楽を作るアイディアが、もう凄まじいのだ。
 例えば、アンコールではその場の即興でパターンを作っていくのだ。先ず、二人の男性にベースパターンを歌わせる。次にその上に乗るカウンターラインを3人に歌わせ、次々とサウンドを作っていく。その上にマクファーリンのスキャットが絡み、いい感じのまま歌いながらメンバーは舞台から消えて行く。何てお洒落な、、、、。

 このステージの中頃、もう一人の男性ヴァーカリストの「フリーダム・ジャズダンス」は圧巻だ。器楽演奏でもこんなデュオはなかなか聴けるものではない。二人が完璧にビートを共有して、その中で自由に動き回る様は神業に近い。この部分を見せると大概の人は「何? これ。」状態に必ずなる。ま、一人でグルーブしまくる奴が二人でやるのだから、そりゃ当然凄いものになるわナ、と言うことで納得するしかない。


05.4/7

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