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(2004.10/26)

 octover issueには、先頃アルバムをリリースしたテナーサックスの3人の巨匠の座談会が掲載されている。現在のジャズシーンで起っている、マーケティング・リサーチの結果作られているような制作のあり方に辛辣な言葉が飛び交っている。
 「彼等がジャズと呼ぶものはジャズでも何でもない。それは水で薄められたポップ・ミュージック、バックグラウンド・ミュージック、パーティー音楽だろう。」という風に。彼等に共通するのは偉大なコルトレーンへの思い入れ。晩年の凄まじい音楽も含めて、コルトレーンは未だに大きい存在であることは間違いなく、彼等は賛辞を惜しまない。本文とは別に「あなたのコルトレーンとの出会いは?」という質問の答えが次のようなもの。

 マイケル・ブレッカー(Michael Brecker)

 コルトレーンを意識し始めたのは、友人とレコード店に行ったときです。私はトレーンの「Live at Birdrand」と、その頃私が好きだったDiz(ディジー・ガレスピー)のもの、2枚のレコードを買いました。コルトレーンは耳障りに聞えました。それまで聴いたことのない演奏のやり方でした。
 しかし、聴き続けるうちに彼の音と強烈な音楽に入り込み始めました。次第に他とは異なる彼の方法に気付き始めました。もう、耳障りではなくなりました。扉が開かれました。
 多くのアルバムを入手し、私はゆっくりと彼等が何をしているのか、特にモーダルな方法などを理解し始めました。マッコイ・タイナー (McCoy Tyner) とエルビン・ジョーンズ (Elvin Jones)にも魅せられました。
 2年後、テンプル大学 (Temple University)でコルトレーンのライブを聴く機会がありました。忘れ難い夜でした。
 最近、ラヴィ・コルトレーン(Ravi Coltrane コルトレーンの子息)から、ラジオで放送されたその夜のライブ・テープをもらいました。コルトレーンは大きなフォームの中にあり、ファラオ・サンダースは死に物狂い。それは主に集団即興でした。聴衆が煙に巻かれていたことを覚えています。ステージには辺り一面に打楽器が転がっていて、それを拾い上げては演奏する。ファラオとコルトレーンが、それを胸に打ち付けて金切り声をあげていたのを覚えています。
それは私を興奮させました。それが何だったのかは分かりませんでした。私が座っていた場所では明確には聞えませんでしたが、録音されたものからはコルトレーンが本当に美しいメロディを歌っているのを聴くことが出来ます。
 コルトレーンの音楽の力と神秘性と霊性は私を奮い立たせました。それまでそのようなものを聴いたことがありませんでした。それは、私を駆り立て、生きていくために音楽を選択する事を決断させるのに充分でした。

 ジョー・ラヴァーノ(Joe Lovano)

 私にコルトレーンのことを教えてくれたのは私の父さん(dad)でした。50年代初期、父さんは彼とジャム・セッションで一緒に演奏したのです。コルトレーンはアルトサックスで、ベニー・ゴルソンも同じバンドにいたそうです。父さんはそれ以来コルトレーンを追い続けました。それで、私はコルトレーンのレコードを聞きながら育ちました。「Soultrane」は最初に聞いて、学んだものの一つです。
 コルトレーンのライブは見たことがなく、私の知識はレコードだけです。彼が亡くなったとき、私は9年生でした。クリーブランドのラジオ放送で24時間、彼の特集が放送されていたことを覚えています。
 父さんは全てをオープンリールに録音していました。母さんの家の地下にまだそれはあるかも知れません。
 ニューヨークに来て間もなく、コルトレーンと共に演奏したマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズなどと付き合いが始まりました。最近ではハンク・ジョーンズもその一人です。コルトレーンの神秘性も然ることながら、多くのコルトレーンに関わった人から、彼が真に偉大なジャズメン(cat)だった事も教わりました。

 
デヴィッド・リーブマン(David Liebman)

 私はコルトレーンがいなかったらここにいないでしょう。
 1961年、15才だった私は初めて「Birdland(バードランド)」に行きました。
 エリック・ドルフィー(Eric Dolphy)コルトレーンのクインテットに向かいあってビル・エヴァンスのトリオが演奏していました。
 私はコルトレーンが誰だかよく知りませんでした。ソプラノ・サックスを吹く事をダウンビート誌の記事で知っている程度でした。土曜日の夜で騒がしく、聞き辛いのもあり、最初はあまり興味を持てませんでした。
 その時、彼は「My Favorite Things」を演奏し始め、私は「何て陳腐なんだ」と思ったのです。しかし、ショーの終り頃には私は捕まってしまっていました。彼がニューヨークで演奏するときには、いつでも聞きに行くべきだと思わされたのです。
 私は高校生でしたが、毎金曜か土曜日に午前4時までの全てのセットを聞くべきだと。そして、終わりまで全てを聞きました。私は彼の成した変革に従いました。
 コルトレーンから得た、今でも残っている大切なことは、彼の誠実さと信念です。
 彼は演奏するときに得意がるようなことがありませんでした。一度もそのような所を見たことがありません。例えば歯を磨くときのように自然に演奏しました。私は若く、彼等が何を演奏していたか分かっていませんでした。テクニックではなく、フィーリングとヴァイブレーションとパワーに惹き付けられました。
 一度だけコルトレーンに会ったことがあります。訪れた場所で、アリスとファラオ・サンダース、ラシッド・アリなど、それぞれがフルート、クラリネットなどを演奏していました。ファラオに促され私もフルートを吹きました。

 ある時、誰かが今日のショーはどうだったか聞きました。
 コルトレーンは「まあ、家でやるセッションの方がいいんだ」と、まるで駄目だったというふうに首を振りながら答えたのですけど、ほんの数分前に彼等は涅槃に届くような演奏を終えたばかりでした。



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(2004.11/17)

 DECEMBER Issue は恒例の読者人気投票。
 ベースのDave Holland が5部門で一位。Jazz Artist、 Jazz Album(Quintet, Live at Birdland)、 Acousutic Group、 Big Band 、Acoustic Bass 
 Electric groupはJohn Scofield 、ComposerとSoprano sax部門でWayne Shorter、 Alto Sax は相変わらず人気の高い Phil Woods、後 Kenny Garrett、 Lee Konitz、 Greg Osbyと続く。Tenor Saxは Joe Lovanoがトップで Sonny Rollins、 Chris Potter、 Wayne Shorter James Carterと新旧混合。総じてベテランの人気が高いのが目立つ。

 他の楽器でも FluteのJames Moody、Guitarの上位2人が Pat Martino、 Jim Hall Pianoが Brad Mehldau、 Keith Jarrett、 McCoy Tyner
Organの第一人者Jimmy Smithは未だトップ、 Drumも Roy Haynes、 Jack DeJohnette、 Elvin Jones、 Brian Blade 
 この結果が意味するものは何もないのだが、ま、参考までに。

linhos


  ジャック ディジョネット(Jack DeJohnette) 、ジョン ・スコフィールド (John Scofield) とラリー ゴールディング (Larry Goldings) はトニー・ウィリアムズ (Tony Williams) の音楽を探究するためにバンドを結成。「Celebrating Tony Williams」 は11月にヨーロッパ をツアー。 2005年、全米ツアー後にスタジオに入る予定。

 Palmetto はJazz At Lincoln Center と契約。
 プロジェクトの最初はリンカーンセンター・ジャズオーケストラ (Lincoln Center Jazz Orchestra)のスタジオレコーディングで、 Wynton Marsalis編曲のジョン・コルトレーン (John Coltrane) の、 "A Love Supreme."
 05年1月リリース予定。

 レイ・チャールズ (Ray Charles)に捧げられる企画。
1954 - 1964年の間チャールズ ・バンドのメンバーだったデイビッド ・ニューマン (David "Fathead" Newman) は HighNote で2005年1月に 「Remembering Brother Ray」 をリリース。
 ジョン ・スコフィールド (John Scofield)も、ドラマー、スティーブ・ジョーダン (Steve Jordan) のプロジェクトで。 Verve から2005年春リリース予定。

 ポール・モチアン (Paul Motian) 、ビル・フリゼル (Bill Frisell) とジョー・ラヴァーノ (Joe Lovano) は "I Have The Room Above Her."を05年1月に ECM から。
 同じく2005年早々に、 ECM からジェリ・アレン (Geri Allen) 、ボブ・ハースト (Bob Hurst) とエリック・ハーラン (Eric Harland) とのチャールズ・ロイド (Charles Lloyd Ouartet) の新しいアルバム。

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(2005.1/4)

 Downbeat.1月号は不思議なことに過去の記事で埋められている。レコード評に至るまでという徹底ぶり。これがなかなか面白い。
 幾つか紹介したいのだが、先ずは1954年 4月7日発行の記事の中から、プレイヤー紹介ページは何とクリフォード・ブラウン。新しいディジーが現れたと紹介されている。内容に大きな驚きはないが、リアルタイムでの記事だと思えば興味深い。

新しいディジー (New Dizzy)

 ヨーロッパのミュージシャンの間でさえも、新しいディジー・ガレスピーが現れたと噂されています。ここ数年、クリフォード・ブラウンほどジャズメンの間で、興味深くも熱く語られたホーン奏者はいないでしょう。そして彼のBlue Note と Prestigeの最近のアルバムなどジャズファンの間でも彼のトランペットは注目され始めています。
 クリフォード (23)はウィルミントン (Wilmington) で生まれました。
「父は趣味でトランペットとヴァイオリン、ピアノを演奏していました。私はトランペットに魅了されたことを思い出します」とクリフォードは語る。
 「私はそれに手を伸ばすにはあまりにも幼かったのですが、仕舞ってある場所によじ登っては落としてしまっていました。13才の時、父はついにその魅惑的なホーンを買ってくれました。私はそのホーンに感じるほどの魅力を、音楽そのものには感じていませんでした。
 後に、中学のバンド、幾つかのビッグバンドに在籍して町の若者たちにジャズへの興味を促進させようと組織されたRobeit Lowery率いるジャズバンドに参加することによって、興味は加速されました。夏の間彼のバンドを経験してLoweryからは多くのことを学びました」
 1949年のある夜、ディジー・ガレスピーがウィルミントンにやって来たとき、トランペットのBenny Harrisが遅れてしまいました。クリフォードは45分間のステージのチャンスを得ました。そしてディジーは少年にジャズをやるべきだと激励しました。
 高校卒業後、彼はデラウェア州立大学で数学を専攻し、音楽奨学金を得た次の年にメリーランド州立大学に移りました。そこには15人編成の、より彼を高めるバンドが待っていました。
 メリーランドでのクリフォードは、月に2回ほどハウスバンドのメンバーとして、J・Jジョンソン、マックス・ローチ、ファッツ・ナヴァロ、アーニー・ヘンリーなどと共にフィラデルフィアのジャズコンサートで演奏しました。

 1950年、交通事故からの回復後、彼はトランペット奏者としての活動を再開しましたが、その一つはチャーリー・パーカーとのものでした。
「ベニー・ハリス (Benny Harris)はまたしてもそのきっかけでした。彼は婚約後間もなくバードの元を去り、私はそこで一週間仕事ができたのです。バードは私の士気を高めました。」
 バードの後、クリス・パウェル (Chris Powell) タッド・ダメロン (Tadd Dameron) と続き、それを聞いたライオネル・ハンプトン (Lionel Hampton)は、彼とアルト奏者ジジ・グライス (Gigi Gryce)をバンドに加えました。1953年7月から11月まで在籍し、ヨーロッパツアーの間にもスウェーデンとフランスのミュージシャンなどと共に幾つかの録音を残しました。ブラウン (Brown) はパウェル (Powell)の元にいるときにもBlue Noteにルー・ドナルドソン (Lou Donaldson)との録音をしていましたし、ダメロンとはPrestigeに録音を残していました。
 クリフォード (Clifford) は今、ニューヨークを拠点にしてアート・ブレイキー (Art Blakey) の元にあり、再び勉強を再開することを望んでいます。
「けれど、経済的ににどうなるのかは分かりません。そのことは厳しいのです。常に多くの有望な人達がいます。ミュージシャンが結婚して2人の子供を持つと、金のために別の仕事を探さなければなりません。」

 実際、周りには多くの才能ある人達が確かにいるのです。例えばジョー・ゴードン (Joe Gordon) のような前代未聞のトランペットプレイヤーがいます。環境は健全になりつつあります。
 かつてとは違い、今はへまをやる誰にでも若者は眉をひそめます。何かが変わり整頓されつつあるようです。

By Nat Hentoff:ナット・ヘントフ

 上の記事から2年後、コールマン・ホーキンスが「個性と若いミュージシャンについて語る」と題された一文。これもやはりナット・ヘントフのインタビュー。
 この記事に特別なことがあるかどうかは分からないが、巨匠が実に素直に自分の考えを語っているように思う。

The Hawk Talks

1956 11/14 issue


コールマン・ホーキンス (Coleman Hawkins) は個性と若いミュージシャンについて論じます。

 テナー奏者のバド・ジョンソン (Budd Johnson)が休憩時間に私のところに来て言うんだ。「何か変だネ。最近のテナー奏者の殆どの印象がすごく似ているんだ。僕等は皆何かを探しているという感じがあって、まったく何も見つけてないんだ。あなたは違う。あなたはそれを成し遂げていて全く違うように聞えるんだ。」

 オリジナリティが話題になった時、 Hawk は言ったのです。

 「それは、ただやって来るというような感覚です。私は思い通りに演奏してきたと思うのです。しかし、一つだけ明らかにしたい事があります。
人々は常に私がジャズテナーを発明した、私がテナーでジャズを演奏した最初だったと言います。 それは本当ではありません。シカゴには ハッピー・コールドウェル(Happy Cauldwell) カンザスシティー (Kansas City)にはストンプ・エヴァンス(Stomp Evans)がいました。彼等はすさまじい演奏をしていました。ニューヨーク近隣の人々はフレッチャー・ヘンダーソン (Fletcher Henderson) のバンドで私をいつも聞くことが出来ましたから、そのような話になったのじゃないかと思います。

 それに、聴衆はそれらすべての他のテナー奏者が近くにいたことを実感出来ませんでした。最初ではないにしても、私がテナーを演奏することの新しいスタイルをもたらしたことは本当だろうと思います。私はより重いアタック(舌)を持っていました。
 他の大部分の人達がそうしていた以上にです。 彼らの音はどちらかと言えば薄かったです。薄い音には新しい何もありませんでした。 それは長年そうでした。 大きい音を持つことは面白いのです。私の演奏が他の人達と異なってるように聞えているらしいのですが、しかしそれは多くの場合、ただ私の音がより大きいからです。私は常に聞かれることを望みました。自身に言い聞かせていたのは:もし誰も聞かないとしたら、吹いていることは馬鹿馬鹿しいと言う事です。
 私はリードとマウスピースに馬鹿のように多くの時間を費やしました。強い音を望みました。いや、人々にどのように大きい音を得るか助言できるとは思いません。 大きい音を得ることができない人も多くいます。それが学ぶべき何かであると信じているわけではないのです。それはただ人がホーンの中に息を吹きこむそれぞれの方法の違いです。」

「それは個性に関係がありますか?」

 「まあ、多分。例えば、バイオリンのような他の楽器。あるバイオリン奏者は他の人たちより大きい音を出せます。彼らはよく楽器のせいにしますが、私はそう思いません。 ストラディバリウスかどうかではなく、それはまったく個人的なものです。」

「今日の若いテナー奏者の話題」

「私は彼らの多くが好きです。アル・ コーン (Al Cohn) 、 ズート・シムス (Zoot Sims) 。当然バッド・ジョンソン (Budd Johnson) が好きです。 もちろん、彼は若い人の1人ではありません、しかし彼は人々が長い間支持する非常に良いミュージシャンです。 彼はたくさんのモダン・テナーをプレーし続けるでしょう。ゲッツ(Stan Getz)も好きです。そしてソニー・ロリンズ (Sonny Rollins) がいます。ソニー・スティット (Sonny Stitt) は最近まで、アルトばかりを演奏していましたが、、。
誰でも、年齢と経験によって自らのホーンに何かを見いだします。 ディジー(Dizzy・Gillespie) を聞いてください。 彼は10年前にしたより100パーセント良くプレーすると思います。
 それは経験の賜物です。若いプレーヤーにはある種の野生がありますが、彼らはやがて精度を手に入れて真の芸術的手腕に到着します。」

 話は、何年も前と比べ、ミュージシャンがジャムをできる場所が不足していることに及びました。

 「少し以前には、ジャム・セッションに8から10のホーン奏者がいるのが常でした。セッションはアイデアを取り交わす貴重な場所でした。今、多くの場合、それはレコードのようです。そして全てのコーラスを盗みそれを演奏するのでしょう。
 多分、若いミュージシャンが独創性に欠けるのはジャムを十分に経験しなくなったことから起るのも知れません。今日1000人のプレイヤーを聞いたとして、それらは非常に似ているのです。もう少しジャムを経験したなら幾分良くなるかも知れませんが、彼等の極めて少数しか個性的ではないのです。彼等はただコピーすることに満足しているように思います。例外として、 ファッツ・ナヴァロ (Fats Navarro) は非常に素晴らしいと思いました。そしてクリフォード・ブラウン (Clifford Brown) は何かに発展して、やがて彼自身になりつつありました。けれども彼は数年を必要としました。とんでもないトランペットプレーヤーでした。彼はホーンの上を飛ぶことができました。
 百万の音符を書き付けることができ、我々はすでにそれらを聞きました。 歳月と経験が彼に彼自身の特有なものを与えたのでしょう。」
(この年にクリフォードは亡くなっている)

 「
ディジーの後、独創的だったものは何でしょう?」 ホーキンス (Hawkins) は自問自答しました。

 「そこに何か他のオリジナルがあるべきです。よい演奏ができる多くの人達がいます。しかし、彼らは独自の方法を得るべきです。けれども、多分彼らは今のサウンドに満足しています。モンク (Monk)は独創的です。あのオリジナリティが好きです。」

 話はジャズ・アレンジメント(書かれたもの)に移りました。

 「アンサンブルのことに対しては素晴らしいとは思いますが、それは人が個々に持っているものを評価することが難しいのです。続ければ、多分100年で、ジャズがクラシカルミュージックのようなものになるでしょう。即興演奏は鍵です。ジャズはそれ無しではすべての独創性を失うでしょう。
 それは、なぜジャズがクラシックと一線を隔てる独特の音楽であるかです。クラシカルミュージックの中にも即興性はあり、作曲家の多くが幾年も前にそれを示した事も確かですが。私はカプラン (Copland)というピアニストが ドビュッシーDebussy に会った話を読みました。
(この場合、作曲家のコープランドではなく、ピアニストのカプランの事だと思われる)

 カプラン はアメリカ (America) の周りのコンサートで ドビュッシー の多くを演奏していました。彼はパリでドビュッシーに会い、ドビュッシーの作品を楽譜に忠実な表現で演奏しました。こらえかねたドビュッシーはすぐ言ったそうです。
「そのように演奏しては駄目だ。あなたがそれを感じるような方法でそれを演奏するんだ。」
 もう1つの例は、4、5人のピアニストによって演奏される同じコンチェルトに耳を傾けるなら、あなたは彼等のいくつかの違いを見いだすでしょう。
 音楽は、もし解釈が常に同じなら、だめではないかと思います。
 クラシカルミュージックで芸術家を作るのも、やはり個性です。

By Nat Hentoff:ナット・ヘントフ


 

15-B
 
(2005.1/8)

 上と同じく1月号からレコード評の追補。
 これはデイブ・ブルーベック (Dave Brubeck)の代表作ともなった 「Time Out」発売時のレコード評。このレコードで「テイク・ファイブ」「トルコ風ブルーロンド」 など多くのファンをを獲得した楽曲が世に出たのだが、評論家アイラ・ギトラーはお気に召さなかったらしく、言ってみればボロかす、糞味噌に近い。大ヒットしたからいいようなものの、ブルーベックはこの評論を読んでどんな気持ちになったのだろう。

Dave Brubeck 'Time Out"

APRIL 28.1960

 もし、あなたがスティーブ・レースの解説を額面通りに受け取るなら、このジャズとはかけ離れた「拍子の探求」が画期的な出来事のように信じざるを得ないでしょう。
 どんな種類であれ、ジャズ (Jazz)の 実験は素晴らしいのですが、実験である事に加えて何かがなければなりません。
 演奏されている作品は本質的にジャズ・フィーリングを感じさせるべきです。 それはドラマーが2と4拍目にアクセントをつけるとか、扇情的なピアノを奏でるとかではないのです。私はジャズのしなやかさもスイングも持たず、応接間音楽のようなものを聞く位ならバーに行きます。クラシカルミュージックに、時々「セミクラシック(半クラシック)」と呼ばれる、一種の鼻持ちならぬ子供だましのものがあり、それはある人々のためには本物の役をします。
 それに似て、 Brubeck は「セミ・ジャズ」プレーヤーです。一方ジョージ・シアリング (George Shearing.) が供給した「ポップ・ジャズ」は、同種のものを感じさせず、多くの人々に支持されています。ブルーベックは、一方では真剣なジャズ演奏家として、あまりにも長くごまかし続けてきました


「トルコ風ブルーロンド 」8分の9拍子
 この合成を聞き、彼が "Jazz Impressions Of Eurasia"でも使ったポーランド的表現の陳腐なショパンもどきを聞くにつけ、なぜここで、いっそ「ペルシャの市場にて」も演奏しなかったんだろうと驚きを隠せません。
「トルコ風ブルーロンド 」のテーマ部分ははジャズからかけ離れています。 その後に続くブルース(ポール・デスモンド (Paul Desmond) のソロはジャズ的な面目を保っている)は少しの関連もなく、Brubeckの言うトルコ悪趣味を正当化できないのです。  私はレースの発言、「素晴らしい何かが試みられて...そして達せられた」ということに断固反対です。
 もし Brubeck がこれからも実験することを望むなら、上に述べたように情けない退屈な方法で聴衆を侮辱しないことをさせるべきです。
 まあ、出来ればですが、もし彼がこのような実験を続けることを望むなら、少し本当のジャズを試みることから始めさせてください。

アイラ・ギトラー (Ira Gitler)

 (結局、採点は5つ満点中の2つ星。
 デスモンドなどに入れたということなのだろうけど、ギトラー氏は余程気に入らないことが他にもあったのではないかと思われます。ブルーベックという人のピアノはには独特の武骨さがありますけど、まがい物を押し付けて何年などと言われてもネ。)


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 (2005.2/20)

 Downbeat march issue からケニー・ギャレットと御年64になるファラオ・サンダースのインタビュー。

 二人の交流のきっかけは何ですか?

ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)以下P・S

 私はケニーのサウンドが好きでした。ある晩、 彼はホーンを持ってIridium に来て、参加することができるかどうか尋ねました。そして、私がそこにいた時はいつでも、時間が許す限り立ち寄ると言った具合でした。もし彼がホーンを持って来なかったなら、私は次にそれを持って来るように言ったでしょう。彼のやり方が好きでしたし、私に影響を与えました。
 ケニーを見ていると自分のことを思い出します。彼は現状に満足しているように思われません。それは素晴らしく聞こえますが、彼はもっと良くなれると思っているようです。一緒に演奏できることは我々にとって良い出会いでした。

ケニーギャレット (Keuny Garrett)以下K・G

 ジョン・コルトレーン (John Coltrane) と一緒に演奏したファラオと同じバンドスタンドに立てる事は正に幸運です。私は出来得るかぎり、自分の理解する本当のものの側に立っていたいと考えていますが、ファラオはまさにそうでした。
 ファラオと演奏するまで、私は常にヒップホップ、ファンクとジャズを混合した方向性を見ていました。けれどもテナーのより分厚い音を聞くことによって、他の音の可能性について考えさせられます。ファラオ (Pharoah)は私に違った事をすることができるということを示します - 少し大きい音を出すとか、あるいはもっと歌う事とか。
 彼は私が到達しようとしている何かに、より近付けてくれるのです。

ケニーはあなたに何をもたらしました?

P・S:一度に2つ以上の音を鳴らす重音奏法のシステムについて話をしました。
 私は私独自の方法でそれを行なっていました。彼は、多くのホーンプレイヤーが踏み込んでいない領域で、また違う指使いと倍音奏法に打ち込んでいました。そして、私が試みよう思っていたそれらに関する本を持ってきてくれました。

では、ケニー 、ファラオ からこの事であなたに影響をはありましたか?

K・G:はい。実際に、ファラオ がBAHT - BAH - DAHBAHHHH と、あるフレーズを演奏するのを聴き、どのように彼がそれをしているのか知ろうとしていて、私なりの一つの方法として理解しました。その頃、重音奏法の本をイタリアのサクソホン奏者から教えられ、それを彼にも見せました。ファラオは60年代にそれらの多くを知った筈です。

P・S:はい、多くの演奏から。
 例えばオーネット・コールマン (Ornette Coleman) が2つの音を鳴らすのを聞きました。私はそれについてオークランド の音楽インストラクターに尋ねました。
 彼は倍音と上音について少し教えてくれました。そこで、それに向かっていくことになるのですが、その頃の私には重音と倍音を完全に修める準備ができていなかったのです。和声進行、アルペジオ、あらゆるスケールについて勉強することがまだまだあって、ピアノを弾く事も学んでいました。
 ニューヨーク (New York) に来る前、私はオークランド (Oakland) とサンフランシスコ (San Francisco) 等のクラブで、多くのバラード、チャーリー・パーカー (Charlie Parker)の音楽を演奏していました。

 ケニー 、あなたは大学に行くことができたはずです。しかし高校から加入されたマーサー エリントン (Mercer Ellington) 。 これはどうでした、賛否両論ありましたか?

K・G:反対は全くありませんでした。もし、私が Berklee に行っていたなら、クーティ・ウィリアムズ (Cootie Williams) やジョニー・ホッジズ (Johnny Hodges) の子分格だったリードアルトプレーヤーHarold Minerveなどと演奏する機会は持てなかったでしょう。私はビッグバンド時代の最終章とでも言うべきものとオルガントリオでの演奏を経験できました。それらすべてが幸運でした。なぜなら、それで私は今ここにいるのですから。

 私にはお二人とも楽器の可能性を(テクニック的に)高める興味も然ることながら、コミュニケーションとメロディに向かっていらっしゃるように見えます。

K・G:私自身のセットで激しい音楽を演奏した後、皆の心をなごませるためにバラードなどを演奏するのが好きです。
 何人かの人が初めてジャズを聞いてるかもしれません。
 私自身を聞き手と考えようとします。
 一晩中演奏を聞くことも好きですが、しかし私はうなずかせられる何かを聴きたいと思います。
 私はいろいろなものに興味を持っていて、そして私自身に挑戦しようとします。
 それで、Q - ティップ (Q - Tip、導師、 Jazzmatazz) のような人々と、あるいはニュージャージー交響楽団 との「Adagio For Strings」 、ロイ・ヘインズ (Roy Haynes) とチャーリー・パーカー (Charlie Parker)の音楽を演奏したりしています。
 それぞれの状況から学ぶべきことが見えてきます

P・S:私は毎晩人々が聴きたがっているものを演奏しようと努めてみますが、彼等が聴きたいものは演奏出来ていません。(笑)
 1曲目、2曲目とプログラムすることにさえ疲れました。
 演奏し始めて、その瞬間において起きることが全てだと思えます。
 私は、他の人が考えるようには、本当にサクソホンテクニックに打ち込んではいません。
 それは我々が何の曲を演奏しているかによります。
 私はホーンを通して、私が聞くどんな楽器のどんな音でも(ドラムあるいはハープのような)伝えようとします。
 もし自分がしていることを好きになれなかったとしたら、そこに知る必要があるすべてがあります。 けれども私は常に自分自身が聴衆と演者であるように感じています。ケニーもそうだと思えます。 それは彼の音楽から現れ、それに人々が反応します。
 自分自身を語り始めます。
 私は聴衆とコネクトすることが好きです。 もし彼らがオープンな状態なら、何でも自分が望むように演奏できます。

サクソホンは自分の声の延長だと思いますか?

P・S:それこそが、私が取り組んでいることです。
 私はまだストレートな音、ストレートなピッチを吹くことを学ぼうとしています。
 演奏している時、すべての音符が曲にあっているかどうか心配します。
 音をアタックする加減、私が 感じるように発音できているかというように心配します。
 良いリードが見つかるまで、演奏することが好きになれません。 よいリードがあればまだしも、カールしてしまったような死んだリードであれば、音までがそのようになるのです。
 それが自分のことのように思えたものです。
 ジョンコルトレーン ( John Coltrane) が、床にリードを投げるのも見ました。 そのような時、何故サックスなんかを吹くことにしたんだろうと思います。
トランペットを吹いていれば、毎晩1つのリードのことで心配することもなかったでしょう。

何があなたをサクソホンに向かわせましたか? 

P・S:私はドラムから始めました。
 それを演奏し続けるべきでした。
 けれども私はホーンが欲しくて、ある人から教会でクラリネットを買いました。
 17ドルだと言うので、私は毎日曜日に20セントずつ彼に払いました。
 それはメタル製でしたが、その時は問題ありませんでした。
 私は学校のバンドではベースクラリネットを吹きました。 サクソホンはありませんでした。
 その内、きしむ音よりも、いっそう柔らかく、豊かで美しいフルートの音に惹かれました。
 私は学校バンドに力を注ぎました。 実際、演奏会の時などはバンド全体の事を心配しました
 最初にアルトサックスに気付いたのはジェームズ・ムーディー (James Moody) の「 Hard To Get 」を聞いた時でしたが、しかし私はまだクラリネットが関心事でした。

サックスはそのバンドで始めたのですか?

P・S:いや、個人的にです。 アーカンソー (Arkansas) でブルースの仕事をしました。 町にはたくさんのアルト・プレーヤーがいましたから、私はテナーの方を選びました。

その時、プレイヤーの誰かに焦点を合わせていましたか?

P・S:リトルロック (Little Rock)ではラジオでブルース以外に聴くものがありませんでしたから、多くを聞いていませんでした。
 チャーリー・パーカー (Charlie Parker) が好きでした。しかし誰も彼のものを持っていませんでした。
 最初私が聞くことができたのは、私が常に愛したジェームズ・ムーディー (James Moody) と、カウント・ベイシー (Count Basie) の「April In Paris」等でした。

 私の教師、ジミー・キヤノン (Jimmy Cannon) 、はトランペットプレーヤーでした。
 彼はレコードを学校に持って来ました。
 それで私は、マイルス・デイビス (Miles Davis)、素晴らしいテナー奏者だった ラッキー・トンプソン (Lucky Thompson) と トレーン 、ソニー・ロリンズ (Sonny Rollins) とハロルド・ランド (Harold Land) などを聞き始めたのです。
 彼はクリフォード・ブラウン (Clifford Brown) が好きでした。クリフォードについて多くの話をしてくれました。後に私は「 Clifford Brown With Strings 」を買い、それを理解しようとしました。

 別の影響もありました。 ある年配のミュージシャンは言いました。「自分の音を得るために、いいマウスピースいいホーンを手に入れなきゃ。」
 私はいつも、どうしたらSelmerのテナーを手に入れることができるか考えていました。
 その頃Selmer はおよそ500ドルでした、それは私にとって言わば百万ドルでした。
 100ドルさえ持ったことがありませんでした。

 友人達はキングのアルトやブッシャーのテナーを勧めてくれましたが、少々の手入れが面倒でした。
 私は演奏の興味は失っていたけれども、まだクラリネットを持っていました。
 私の父はそのホーンを見て言いました。「何もないわけじゃないだろ?仕事をすればいいじゃないか」

ケニー、あなたが送りだす音は、最初からあなたの心に聞えていたものですか?あるいはそれ自体が発展していきましたか?

K・G:それは両方です。
 18になり、自分をテープで聴いてみるまでは私自身を実感していませんでした。 それで、私は腕を磨こうとし始めました。
 自分が求めている音について明確に意識していましたし、まだ捜し求めています。
 毎日私はその完ぺきな音について考えます。 もっと歳を取った時、完ぺきな音を見つけてはいないかも知れません。しかし、ユニークな私自身の何かを持っているかも知れません。
 けれども私は常に探しています。
 私は異なったマウスピースを持っています、一方は私が探している要素ではなく、もう1つの要素を持っています。 正しい組合わせを得れば、求める何でも演奏可能です。 すべてのアイデアは正に流れ出ます。

P・S:私はケニーの言っている事がよく分かります。
 彼は私にジョン・コルトレーン (John Coltrane) のことを思い出させます。
 なぜなら彼は彼の音を発展させるあらゆる種類の方法を見いだそうとしますから。
 ジョンはステージの後で私に「マウスピースの鳴りはどうだった?」と尋ね、私は「ジョン 、それは素晴らしく聞こえているよ。」と答えました。
 ある時私が使っていたマウスピースをジョンも試したがっていることは知っていました。
 彼は Birdland でそれを試した後、「これは手に入れたい」と、言いました。
 後に彼が電話をしてきて言いました。「楽器全体で均一にサウンドしないな。自分には合ってないようだ。」
 低域はよかったのだけど、上の音域はまあ言わば薄く感じました。 そのマウスピースはやめました。
 最も良い音を探す事には終わりがありません。 私は自分が何を探しているのかさえ分かりません。


 "Big Nick" Nicholas はかつて私に「私はロリンズ (Rollins)や他の人にも話したのだけど、キーを少し広げる事で、ある音を得ることが出来るんだ。」と、言いました。
 それで、キーを引き上げてみました。
 指が動きにくくなり、テクニックには障害がありました。
 私が今演奏しているホーンはキーが高く引き起こされています。 私は小さいマウスピースを使いますが、音の芯も決まって聞えやすく、大きな音を出すのも容易です。
 もしキーが標準的な高さで、同じマウスピースを使ったとしたら、それほどではないでしょう。

K・G:ファラオの次に立つ時、私は何時も彼が見事ないい音をしていると思います。
 ジョン・コルトレーンと同じステージに立ち、素晴らしい音を聴くことはこのような事だったのかと思います。

P・S:私がやってきたことが常に何も起していなかったとは思いません。
 クラリネットを吹いていたときも、良い音が出ていると思ったこともあります。
 けれども、ジョンは我々よりも進んでいました。
 彼がそのごつごつした音を得るためにマウスピースとリードの組合わせにしたことを、私は理解しようとしました。

 あらゆる種類のマウスピースでの演奏を聴きました。 バンドスタンドで聴く彼の音はサクソホン音ではないようにも思われました。 すべての音がむしろパーソナルな声のようでした。 彼の演奏は何でも内側から起るようでした。
 私が探している多くのもの全てを含んでいました。 私はそのようなサウンドを望んだわけではなく、どのようにして彼がさらに進んでいけるのかを理解しようとしていました。
 私が同じ音符を操っていることは知っています。
 しかし、私は彼が手に入れたものをほとんど取り出していません。 それで、私はある特定の音符の異なった指使いを捜しました。
 中央のC音はとても多くの異なった指使いで演奏しますが、私はまだどれを使うべきか分かりません
 バラードではより質の高い音を得られる、ある指使いで演奏します。
 私は多くのマウスピースを試みましたけども、私はまだ満足してはいません。
 私はそれに取り組み続けなければなりません。

 時々ケニーが来て私に言います。「おお、良い音です。」
 彼が部屋を出る時、私は彼が何を聞いているか知りたいと思います。
 私は良い音が何であるか理解している聞き手になりたいと思います。
 音はより反響しますか?
 抜けていますか? 私はまだ満足していません。

K・G:マイルス (Miles Davis) がチャーリー・パーカー (Charlie Parker) と演奏していた時、彼は準備万端でないと感じていたことをよく話してくれました。
 しかし、リーダーは何かを聞いている筈です。
 ファラオに聞いてみたいのは、ジョンコルトレーン がファラオの何を聞き、何を見ていたのかということです。

P・S:ジョンはホーンに挑戦し続け、出来ることすべてを得ようとしていました。
 彼は私に「低いAを吹けますか?」と、尋ねました。(通常半音上のBbまでしか出ない)
 私は唇の形で出す、アール・ボスティック (Earl Bostic) のやりかたの事を考えました。
 そして、低い B-flat について話をしたものです。

 彼は表現のためになら何でも手に入れずには置かないように見えました。
 私は彼がしていなかった多くのことを試し、彼はその運指の事などを尋ねるのです。
 今、私は彼に話をすることさえ出来ません。
 私はスポットでそれを演奏するだけです。
 私の表現の多くもまた内側から起ります。
 特により低い音符、生々しさを得るためにホーンの中にハミングして、うなり声を出したり和音にしたりします。
あるいは、あなたが「それは何ですか?」と、言うように、もう1つの倍音を出したりします? それは運指とはまた違います。

この共演は続きますか? 

P・S:今すぐではないけど、そうするでしょう。

K・G:私はそう望んでいます。 ファラオを聞く時、私は「それはまさしく私が感じていたものです。」と、言います。 私には出来ない部分です。 お互いの敬意があり、彼と一緒に演奏する事は楽しみです。 我々は音楽を演奏して、楽しい時を過ごします。



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