Eddie Harris

 下の写真はエディ・ハリスの教則本「The Intervallistic Concept」。ピアニストの友人がアメリカの土産で買ってきてくれたもので、2巻が一冊にまとめられている。

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 友人は楽譜屋でこれを見付け、小生がエディのファンであることを知っていたものだから一も二もなく手に取ったという。教則本は数多あるが、珍しいものといっていいだろう。エディによれば「Freedom Jazz Dance」の元となる課題を作ったエチュードらしい。ずいぶん痛んでしまったが、未だに完璧なお復習いはできていない。エディらしく神経質ともいえる念の入れ方で書かれていて、そうとう手強い。

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 そのむかし旅先に必ず持っていったテープが、エディとジュニア・ウォーカーのものだった。エディはファンクだけをやるミュージシャンでなかったが、この2人から学んだのはグルーヴすることの重要さ。
 「Groove」とは何かということになるが、それは聞いているだけで知らず知らずのうちに身体が動き出し、踊りたくなるようなリズムの乗りと考えていただきたい。

  さて、そのエディ・ハリス。かつてブランフォード・マルサリスをして「エディに敵うやつはいないよ。彼は本当のサックスの巨人だと思うよ」と言わしめたプレイヤーでありますが、我が国での評価は芳しくなく、キワモノ扱いされることもしばしば。それには無理からぬ理由もあって、そもそもはブラック・スタンゲッツなどと評されたようなサウンドでの作品がヒットしたにも関わらず、芸風は様々に変化。シリアスなジャズはもちろんのこと、ファンクあり、ラップあり。冗談音楽のようなアプローチをするかと思えば、難曲「Giant Steps」を軽々とこなし、プレイヤーとしての焦点が定めにくい方。そういった意味では代表作というものも決めにくく、だいたいはレス・マッキャンと組んだ「Swiss Movement」が挙げられる。アルバムとしては確かに全体のバランスがよかったわけだけども、このリハーサル無しぶっつけ本番の作品が代表作というのも気の毒な話。 
 まったくのソロで演奏されている「Ooh」(This is Why You’re Overweight 76)「Song is You 」(There Was a Time Echo of Harlem 1990)などで彼の技量の一端を知ることができるが、このような楽曲はアルバムの片隅にこっそり隠されているといった案配で、こういった演奏を前面に押し出すアルバム作りはしなかったものだから、多くのアルバムを聞いて探すということになるのが面倒ではありまして、しかしそれがエディのスタイルでした。ピアノの腕前も相当なものだったエディは「
Playin' With Myself  R.C.A 79」でセルフ・デュオを発表しましたが、あまり話題になりませんでした。
 この項は、過小評価されているエディについて少しでも知ってもらおうと2003年に書いたものです。
 2016年2月12日


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Eddie Harris


 譜例は「Look Ahere」
 少し撥ねたドラムのリズムに乗って、bass、guitar、keyboard、シンプルな3つのラインだけ(D7とG7)の繰り返し。

 リズム・パターンに応えるように合間を縫うのはサックスの吹くテーマ。私がEddie Harrisに惹かれたきっかけは、この曲のような単純なリフを重ねて表現するやり方でした。「グルーヴ」する、ということの意味を何となく感じることができたのです。一つ一つのパターンが絡み合って生まれるサウンド。付け加えるものもなく、一人ひとりの送り込むリズムが相互に干渉しあって生まれる揺れ。次第に高揚してくるアンサンブル。今のポップ・シーンの中では、あらゆるものの中にこのような語法が聴かれますが、ジャズもどきからやって来たサックス奏者にとっては目からウロコでありました。

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 当初、Eddieに関する知識といえば「Freedom Jazz Dance」を作曲した人であり、ファンキーなサックスを吹く人、程度のものでした。しかし、Eddieのアルバムを片っ端から聴くうちに、このサックス奏者の何ともユニークな全貌が明らかになってきました。
 ピアニストでもあり、トロンボーン奏者でもあり、トランペットにサックスのマウスピースをつけてReed Trumpetなどと言って吹き、サックスにトロンボーンのマウスピースをつけてSaxobone、サックスをくわえたままでの歌、電気サックス、、、
 音楽への興味も多岐にわたり果てしないのです。有り余る才能は、Eddieを一所に留めることなく次へと駆り立て、まるで才能に翻弄されているようでもありました。
 しかしながら、マイルス・デイヴィス、ホレス・シルバー、キャノンボール・アダレー、アーマッド・ジャマルなどにその才能を支持されたジャズメン。
 それが、Eddie Harrisでありました。

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Eddie Harrisは1936年10月20日、シカゴ生まれ。

「4歳の頃には教会音楽のすべてを知っていました」とは本人の弁でありますが、教会に対して熱心であった母親の影響もあり、 聖歌隊の前列でテーブルの上に立ち、最初に歌った時は4歳でした。

 演奏家としての出発点は5歳の頃。従姉妹から教会でピアノを習い、 間もなく彼は耳を頼りに弾き始めました。長じて、偉大なジャズ・ミュージシャンを輩出することで有名 なDuSable 高校に入学しました。

 Eddieの前には、 Johnny Griffin 、 Gene Ammons 、 Bennie Green がいて、同年代には Richard Davis 、 Richard Evans 、 John Gilmore がいました。

 父親を早くに亡くし、母親と2人の伯母の面倒を見なければならなかった家庭は、楽器を買うほど経済的な余裕もありませんでした。Eddie本人も音楽よりスポーツに夢中でしたから、最初はスクールバンドには興味を示しませんでした。
 やがて、バンドにmarimba奏者として参加しますが、正式な音楽訓練を受けていないという理由でそのパートを断られました。その後、サックスを希望したにも関わらず、厳格な教師によって クラリネットを要求された彼は、質屋でクラリネットを手に入れて再び参加しました。

 この辺りのEddieの話は、かなり詳しい状況説明がありますが、この教師との間に起きた出来事が、いかにEddieにストレスを与えたかということでもあります。

 DuSable 高校のバンドは、プロのようなバンドだったらしく、 Dizzy Glllespie 、 Stan Kenton 、 Duke Ellington と会う機会もあったようです。

 しかし、教室でEddieのピアノにあわせて踊る友人達との集まりが教師の耳に入り、バンドを追出された揚げ句Hyde Park High School に転校することになるのです。彼のスポーツ熱は相変わらずでしたが、すでにクラブなどでよく演奏してもいました 。Eddieの最初の仕事は、 ピアニストとして参加したGene Ammons セプテットでした。高校卒業後 Chicago の Roosevelt College で音楽を学んだEddieはJoe Segal に会い、 Bird 、Lester Young 、Roy Eldridge などと共演するチャンスを得ました。
 一方、母親とおばの面倒を見ていた彼は、ピアノ、ベース、ドラム、生活のために何でも演奏しました。

E・H「私のピアノはエロール・ガーナー( Errol Garner) のようでした。 譜面も読めましたが、私は耳によってすべてを演奏しました。テナーを Stan Getz のように吹きました。けれども本当は歯を失う前のLester Young のように響かせました。たくさんの 仕事がChicagoにはあって、私は常に必要とされていました。」

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 徴兵で陸軍に入隊したEddieは、トランペット奏者 Don Ellisと出会い、彼の口添えもあって空輸部門から7th Army Jazz Band(7th Army Symphony Orchestra )に移りました。Don Ellisは Eddieのサックスから聞こえるStan Getzの様なサウンドに難色を示し、もっと重いサウンドを出して欲しいとアドバイスしたそうです。2人の交友はDon Ellisが亡くなるまで続き、「The Versatile」での共演がDon Ellisの最後のレコーディングになりました。

 Don Ellisは、後に変拍子を意欲的に取り上げるビッグバンドのリーダーとして世間を驚かせました。曲名の横に4/7などという表記が必要なほどでしたが、Eddie HarrisのFreedom Jazz Danceも彼の手にかかると5拍子になっていました。

 7th Army Jazz Bandには、後にJazz界で活躍することになる、Cedar Walton 、 Leo Wright 、Don Menza などもいましたから、充実していたようでもあります。

 
除隊後、ChicagoからNew York に移り、トロンボーン奏者として Birdland で Duke Jordan、Monk などと演奏したりしました。しかし、金銭的なトラブルの多いこの街での生活が嫌になった彼は、結局Chicago に戻りました。Chicagoを訪れたQuincy Jonesは、作曲家としての活動を本格化するためにバンドを離れたオリバー・ネルソン(Oliver Nelson)の替わりとして、ヨーロッパ 楽旅への同行をEddieに求めました。 しかし、この話は母親の猛反対によって実現しませんでした。母親は、レコーディング契約をする会社を優先するべきだと言って譲らなかったのです。クインシーは「何という馬鹿げた話だ」と、落胆しました。

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 1961年(25歳)、Vee - Jayレーベルから出した、元は映画音楽の「Exodus」はポップスチャートで大ヒットを記録しました。Billboard Top40に1961年5月に3週連続チャートイン(36位)、2百万以上のセールスを記録。

 当初、レーベルの思惑は、サックス奏者としてのEddieではなく、ラムゼイ・ルイス(Ramsey Lewis)のようなピアニストとしてのアルバムを作ることでした。それを察知したEddieは、何曲かテナーを吹くことを条件にこの話を承諾しました。

 セッション前夜、後の妻Sallyとレストランで食事中、ジュークボックスから流れてきたFerrante と Teicherの "Exodus "に耳を奪われたEddieは、繰り返しそれを聴き、その場で編曲してしまいました。結果、彼はインクで汚してしまったテーブルクロスの代金まで支払うことになったそうです。

 スタジオに入り、何曲か録音したバラードの中の1つが「Exodus」でした。
 どういうわけか、このレコーディングでEddieがピアノを弾くことはありませんでした。このヒットがEddieにもたらしたものには皮肉な一面もありました。ある論評によれば(Eddieが亡くなったときの記事)、「早い時期のコマーシャルな成功のために、ジャズ演奏家として不当に軽く扱われた」、というようなことです。

 この曲での演奏は、ジャズ的に重要なメッセージが含まれているというようなものではありませんでした。アルトサックスかと思えるような音域で、柔らかく響かせるテナーの音色が印象的ではありますが、ピアノ、ギターソロも穏やかです。今で言えば、スムース・ジャズと言ったところでしょうか?
 時代的な背景もあると思いますが、シングルカットされて、ジュークボックスから流れたということであれば、チャーミングな曲の魅力も手伝い、いわゆるジャズ色のあるイージー・リスニング・ミュージックとして人々を惹きつけ、支持されたのではないかと思います。

 この後、Eddie はColumbia Records で制作もしましたが、これはあまりうまくいかなかったようです。詳細が不明でありますが、「Exodus」の後、Eddieが録音したもののほとんどがジャズ・スタンダードでした。
 私が所有しているものはオムニバス盤ですから、その全貌は分りませんが、かなり多くの録音をしてリールを重ねたのではないかと思われます。しかし、この時期の録音に、聴くべきものはあまり含まれていないようです。With Stringsのものも多く、ヒットを狙った節もあります。この時代のものは、残念ではありますが、高い評価を得ることはないと思われます。

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 Eddie の本領が発揮されるのは、producer
Nesuhi Ertegunを得てAtlanticから発表された、サイドメンバーにCedar Walton(Piano)、Ron Carter(Bass)、Billy Higgins(Ds)、Ray Codrington(Trumpet)を含む 「The In Sound」(65)辺りからです。シダー・ウォルトンは軍楽隊仲間でもありました。Black Stan Getzと呼ばれていた音色、ビヴラートなどは残しつつも、よりブルース色が強い表現をするようになりました。冒頭の「The Shadow of Your Smile」(いそしぎのテーマ)は「Exodus」のライン上の曲ですが、エンディングの繰り返しでは、後のEddieの特徴の一つにもなるハイノートを多用したファンキーなフレーズが聞かれます。 アップ・テンポ「Love For Sale」のソロでは、4度を駆使したIntervallisticなラインが凄まじい勢いで演奏されているのです。
 
このソロによってEddie は賞を貰ったと語っていますが、詳細は分りません。フランスでと言うことです。音楽雑誌の賞だったのかもしれません。このソロスタイルをEddieは追求し続けました。

「Freedom Jazz Dance 」が収められているのもこのアルバムです。
 E・H「Freedom Jazz Dance」は、(スケールのラインを使わずに )どのように和音に接近するべきかについて書いた Intervallistic Etudeの課題(exercise)でした。」

 いわゆるOne chord の曲ですが、巧みに組み立てられた4度音程のメロディが斬新で、それまでにない様式を示したと言えます。

 Cedar WaltonとRon Carterの弾くオリジナルのサウンドは、上のようなシンプルなものでした。シンプルだとは言え、それぞれのアクセントは別の拍にあります。
 Eddie は「人々が自由気ままに踊る、リズムの融合と言うようなものを含ませました。 それはアバンギャルドでもあります。」と語っています。サックスソロのバックでも、このパターンが崩されることはありません。
この曲の先進性に気付いたMiles Davisは、アルバム「The In Sound」リリース一年後に早くもレコーディングして、「Miles Smiles」(67)に収めました。

 ドラムのビートに4拍目のアクセントを残しているものの、リズムはよりフリーなアプローチを示し、上のような大胆なコードがメロディに呼応して響くというハードな展開で聞かせました。Ron Carter はオリジナルとMiles盤、両方に参加しました。後のエディのインタビューによれば、マイルスのレコーディングへの橋渡しをしたのがロン・カーターだったということです。Milesがカバーしたことにより「Freedom Jazz Dance 」は瞬く間に広く知られることになり、その後もカバーをする演奏家が相次ぎました。
 Joe Hendarson(Tenor Sax)を擁するミロスラフ・ヴィトウス(Bass)のアルバム、フィル・ウッズのヨーロピアン・リズム・マシーンなどが有名ですが、ある表記によれば40以上のカバーがあるそうです。私はボビー・マクファーリンのライブビデオで見た、男性ヴォーカリスト2人の凄まじいアカペラ・デュオに驚かされました。

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「Mean Greens」(66)は「The In Sound」の延長線上に位置するアルバムです。Eddie の陽気さ、お気楽な部分が顔を覗かせるアルバムでもあります。Cedar Walton、Ron Carter、Billy、Rayの参加は変わりませんが、Eddie は3曲でElectric Pianoを弾いています。特に印象的なのは「Listen Here」です。この曲ではサックスは吹いていませんが、後に大ヒットを記録するこの曲の原形がここにあるのです。(どことなく調子っ外れなオルガンが変です。)
 Eddie 作「Without You」を録音した理由は、Cannonball Adderley が気に入って、是非録音するようにと言ってくれたからだとEddieは言っています。「そうかな、そんなに良いかな?じゃあ、録音するべ」というところでしょう。

 「Tender Storm 」(68)
 
Cedar Walton、Ron Carterの参加はこのアルバムが最後ではないかと思われます。(後にCedar Waltonのアルバムに参加はあった)「My funny Valentine」「On a Clear Day」「A Nightingale Sang in Berkeley Square」などがクァルテットで演奏されています。特筆すべきはamplified Saxという表記です。電気サックスの初期の形だと思われますが、どういうものであったかは分りません。オクターブ下の音が一緒に響いています。「If Ever I Would Leave You」のソロの途中、全く一人だけになった時など、その効果は絶大で、お気に入りだったらしく、この後も何枚かのアルバムで聴かれます。
 この次のアルバム「Electrifying 」(68)
では、electric saxophone とはっきり表記されるようになりますが、それに伴いEddie の音楽は転機を迎えます。



 
「Electrifying Eddie Harris」(68)
Varitone electric tenor sax とクレジットされています。マウスピースに組み込まれたマイクで音を拾い、それを電気的に変調させて生音と同時に出すというシステムでしたが、この時期のそれはオクターブ下の音を出すだけというものでした。これは前作と同じです。しかし、この頃から、よりファンク色の強い選曲が目立つようにもなりました。

 このアルバムの中のファンク・チューン「 Listen Here」もミリオンヒットとなり、トップ10を記録しました。Eddieは「ダンスの為のラテンジャズ」と説明しています。上の譜面のベースラインが繰り返されるだけの曲です。メロディは(譜面は導入部)シンプルです。ブルース・フィーリング溢れるソロは(記譜はBb)、下のように低音と高音を駆使してエキサイティングに繰り広げられます。

 ボケと突っ込み両方を一人でやってしまっているかのような、C Bb C のフレーズに自ら応えるやりかた。これはダビングしたのではないかとも思いましたが、ライブでもこういう風ですから、ブレスの厳しさもなんのその、楽しそうでもあります。これは、one chord のfunk tune のソロに於ける、Eddie のスタイルの一つになりました。

 影響を受け、学んだミュージシャンについて、彼は次のように語っています。
 
E・HStan Getz の音色、Miles Davis の音の選び方、Milt Jacksonのフィーリング、Charlie Parker、 Clifford Brown の滑らかさ、Rollins、Coltraneの音の跳躍の仕方、が好きでした。そして、Sonny Stitt、 Ben Webster、 Lester Young 、Coleman HawkinsGene Ammons、何れも素晴らしいと思います」


 何とも欲張りな事でありますが、サックス奏者に限らず、大方の演奏家は似たようなものでしょう。しかし、Eddie が少し違うのは、上にあげたような様々なスタイルを持つプレーヤーのやったことを、自分でも全てやってみたかった、ということなのです。しかも、全てをかなりのレベルでやってのけました。ある評論家は批判的でもありましたが、Eddie は意に介しませんでした。

 例えば「 Listen Here」は「 Exodus 」とは全く趣の異なる曲です。この2曲に見られる表現の対比は別人のようでもありますが、以降Eddie のアルバムの多くに混在する特徴ともなります。 そのうえ、シリアスなJazz 、妖しいバラード、お気楽な明るいカリプソ、Funk、Blues 、何でもありです。この部分が、とらえ所のない印象を持たれてしまう要因になっていると言えます。とは言え、アルバムを何枚も聴いているうちに、この極端とも言える様々な表現方法が、実は相互に補い合う一つの作品ではないかと思えてくるのです。

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さて、「 Listen Here」のヒットはEddieの生活に変化をもたらしました。
 
E・H「私は、工員と全く同じように、毎日演奏して、音楽を作る生活が望みでした。経済的にも多くを望みませんでした。音楽を作って生きていくのに充分な、心の平和を保つ事が出来ればよかったのです。」 
 しかし、「 Listen Here」のヒットは、Eddieを(ジャズから)ファンク・アーティストとして移行させ、ヒットレコード・ビジネスの渦中に追い込みました。彼にとって、それは神経衰弱を引き起こすほどのストレスでした。視力に変調を訴えるような事態にもなりました。このストレスはEddie を相当痛めつけたようなのですが、発表されるアルバムはFunk 色の濃いものでありました。

 High Voltage (69) Live At Village Gate N.Y Shelly's Mane-Hole Hollywood
 このライブ盤ではほとんどの曲がListen Hereのようなスタイルで演奏されているのです。
 彼がFunk Musicを嫌いであるはずもなく、「Plug Me In」(68)「Silver Cycles」(69)などのアルバムで、以前にも増してR&B、ソウル風味の曲が多く取り上げられています。特にPlug Me Inは、R&B 色全開です。(とは言え、最後に4beat の曲が入っているのが彼らしいのですが)
 たぶん、彼はFunk Artistとしてレッテルを貼られ、安っぽく見られることに耐えられなかったのかもしれませんEddie Harrisは、紛れもなくクリエイティブなラインを模索するJazz Manでしたから。

 Eddie の最後のアルバムのライナーノートでMike Hennessey は「Eddie Harrisの失敗(mistake)は3つある。まず、デビュー・アルバムがあまりにも売れてしまったこと、第2に独創的な実験にのめり込みすぎたこと、そして第3にロック、Funk 音楽に興味を持ちすぎたこと。」と述べています。
 この意見は否定的なものではなく、むしろ好意的な賛辞を含んでいて、Jazz Man として過小評価され過ぎたEddie Harrisに対するねぎらいの言葉でもあるのです。

1969年、Montreux Festival に於ける、Les McCannとの共演はアルバム「Swiss Movement」として発表され、高い評価を得ると共に、この中の「 Compared To What」はまたしてもヒットしました。このアルバムは、Eddieの代表作として紹介されるものにもなりました。

 このステージには、元々Clark Terry (クラーク・テリー)が参加する予定でしたが、都合がつかず、替わりにBennie Bailey(ベニー・ベイリー)が入りました。ステージは、全くリハーサルなしで始められました。Eddieは、Les McCannのグループで起きていることに注意深く耳を澄ませ、探りながら演奏したと語っています。Les McCannグループの送りだすビートに乗って、Eddieは自由なイマジネーションあふれる演奏を繰り広げました。まさに、今そこで何かが起きているという感触を得ることが出来たのです。 Eddieが言うところの、[Les McCannの「grooves」 でプレーするやり方]は、Eddieに新しいアプローチの可能性を見いださせました。ファンク・テイストを持つジャズと言うところでしょうか?Lesのやり方に順応した自分の成功をEddieは確信していました。
 2年後に発表されたEddie名義のアルバム「2nd Movement」(71)はその続編ですが、1曲目にBernard Perdie(Ds)を迎え、さらにファンク色を前面に打ち出し、しかもジャズの即興性を自由に展開する自信にあふれたものになりました。

 
 一曲目「Shorty Rides Again」テーマ(上の譜)のモティーフが既に斬新です。
パーディの送り込む小気味よいビートに乗って、全員で疾走します。エレピの音色、中間部のスペイシーな部分に時代を感じますが、このスピード感は今聴いてもなかなかのものです。Cornell Dupree(Guit)Jerry Jemmott(Bass)とくれば、この面子はKing Curtis「King Pins」ではありませんか。R&B 、伝説のリズムセクションです。ソロは、まさにIntervallisticであります。特に、2の部分でのクリエイティブなライン!!
 彼のオリジナルなラインは、また一歩前進しています
このセットで2度とアルバムを制作しなかったことについて、Joel Dorn (プロデューサー、Is it Innなどを手がけた)はCDのライナーノートで嘆いています。
 神経質なEddie と子供のように無邪気なLes。性格の相違はあれ、コンビネイションは抜群でありましたが、やる気満々のLes に比べ、Eddie はさほどでもなかったらしいのです。彼は安住することを恐れているようでもありました。ヒットした途端に、そのジャンルから逃げ出そうとしているふうにも感じられたということです。単に、天の邪鬼だったのかもしれないのですが、Eddieの移り気は生涯を通じて変わりませんでした。

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 話は前後しますが、「Free Speech 」(70) 
ここでは、Reed Trumpet(トランペットにサックスのマウスピースをつけたもの)を吹いています。この変な試みは賛否両論ありますが、何枚ものアルバムで演奏されました。アルバムのサウンドは、Milesの「 Bitches Brew」に通じる世界です。録音はMilesより早く行われました。Eddie の先取性を象徴する出来事ですが、このようなことは他にも幾つかあります。Rapを取り上げたのもかなり早い時期でした。後のフュージョンと呼ばれる音楽に顕著な、R&Bテイストのワンホーンのやり方は、(Jazz のあらゆる可能性を突き詰めた部分で)他のどのプレーヤーよりも明らかに現代のそれに近いものでありました。
 特に私が気に入っていたのは、少し撥ねたリズムのものでした。それまで聴いていたものにはない新鮮さがありました。「That Is Why You're overweight」(76)に収められた「It's All Right Now」などはその代表ですが、Ronald Muldrow(guit)Bradley Bobo(bass)とEddie 自身のElectric Pianoのリズムトラックは今も色褪せることはありません。Ronald 、Bradley 両人とも多くのアルバムに参加して、重要なグルーブ(Grooves)を送り込みました。それは、「WAR 」の偉大なベーシスト、B B Dickersonと並んで、私のリズムの教科書でもありました。

 余談ではありますが、WAR のCharles Miller も私が敬愛したサックス奏者でした。彼のソロの聴けるものを編集したテープをよく聴きました。
 Lee Oskar の1st アルバムのAltoの切ない響きにはいつもやられていました。テクニカルな達人ではありませんでしたが、真の名人でした。

 また、Eddie はアレサ・フランクリンや Etta James(エッタ・ジェームス)、James Brown (ジェームズ・ブラウン)のやっていることにも彼の方法でチャレンジしました。一曲ずつ紹介したいのは山々ではありますが、きりがありません。

 ところで、Eddie Harris のアルバムと付き合うには、少々のリスクとでも言うべきものを覚悟しなければいけません。聴き終わるまで油断は出来ないのです。何が飛び出してくるか分りません。いきなり、気味の悪いヨーデル風の歌声が耳をつんざく事もありました。「何だよ、これ」などと言ってはいけません。甲高い草笛のような音で、やたら早いパッセージが鳴り響くものもありました。The lonliest Monk/「I'm Tired Of Driving」(78)
 
サックスを期待しているとがっかりしたりします。「E.H.in U.K.」(74)「Baby」では、クレジットにtenor sax & Vocal(singing through the horn)とあります。要するに、マウスピースくわえたままで歌っているのです。(この方法はほかでも聴かれますが)古いラジオから流れてくるような声になります。「That Is Why You're overweight」表題曲は、食べ物の名前を言い続けるヴォーカルに笑います。「I Need Some Money」はそのまま歌詞です。このアルバムでは、全編にリズム・ボックスが使用されています。チープな音色です。

 「Versatile」(77)のLove is here to stay はPiano Soloです。ライブ音源なのですが、弾き終わって「ヒャアー、アハハー」の声で終わりです。アナログ盤では、ピアノのフタを「バトン」と閉めて、立ち去る足音まで入っていました
 ある曲では、いきなり響くのはクイーカ(ラテン音楽で使う皮を擦って音を出すやつですね)のお腹が鳴ったような音。で、「I'm sorry」という声があって、その音でリズムを出し始めて曲につながる。何とも悪趣味な、、、。しかし、笑えるものはまだ良いのです。
「The reason why I'm talking S--T」(76)
極め付けはこれ。

 このアルバム、A 面は全部トーク。B、トークと演奏少々。ジャケットの写真が、車に轢かれて壊れたサックスを持っているものではありましたけど。ある紹介記事では、Sax vocal Comedianとありますから、そういう面を持つ人でもあったらしいのです。

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 彼ほどのプレーヤーであれば、シリアスなジャズシーンで名声を得る立場にいてもおかしくはなかったと思われますが、決してそうはしませんでした。色々なことをやりたいが故に、あるものが評価されて注目される状況にはいち早く背を向ける、何とも厄介な性癖があったようです。しかし、時に彼は超シリアスなチャレンジをする事も忘れていませんでした。 Giant Steps/「Sings The Blues」(72)はコルトレーンと違う方法でチャレンジしたかったとEddie は語っています。彼は2/2のサンバ・ビートで演奏しました。下の譜はソロの部分(頭7小節)ですが、どこかファンキーに聞こえます。Eddie の面目躍如たるものがあります。(3段目もやはり頭3小節の部分です)Intervallisticなラインを駆使し、凄まじい勢いで吹き切っていますが、付き合わされたRonaldとピアノのJodie にとっては災難でした

 このようなTune は様々なアルバムに収められています。Steps Up(E.Harris) /「Versatile」(77)は、更に難しそうなオリジナルです。旧友 Don Ellisも小気味よく快調ですが、Don のLast recordingでした。(ここでの Bradley Bobo の歯切れよいベースも聞き物です)
 7拍子の1974 Blues「Silver Ccles」(68)はFunkタイプの曲でのチャレンジでした。Oleo /「Excursions」 (73)は、中間部、火を吹くようなサックスソロの ア・カペラ(無伴奏)状態が聴かれます。ア・カペラの演奏はいくつかのアルバムに収められていますが、Song Is You /「Echo Of Harlem」(90)は圧巻です。 Black Stan Getz と呼ばれた柔らかい音色のTenor Sax は、Ballad で聴くことが出来ました。ビヴラートはGetzより少なく、より優しいものだと思います。ビリー・ホリディは誰よりも早くEddie を支持したそうです。Eddieの歌心に、誰よりも早く気が付いていたのかもしれません。

 電気サックスは、機材の進化(一度に出せる音数が増えたことなど)とともに使い方が変わっていきました。「Sound Incredible」(80)では、一人サックスセクションをやっていたりします。「Playin' With Myself」(79)は自らピアノを弾いたテープにサックスをダビングしたものでした。ピアニストとしても、かなりのレヴェルの人ですから、このアルバムは誰にも真似が出来ないものでした。

彼の教則本「The Intervallistic Cocept」には次のようなことが書かれています。

There are no wrong intervals if played in succession.
There are no wrong chords, only wrong progressions. 
There are no wrong notes, only wrong connections.
There are no wrong compositions, only wrong inflections.
続けて吹けば、間違った跳躍はない
コードがよくないんじゃない、連結がよくないんだ。
その音が違うんじゃない、つなぎ方に問題があるんだ。
フレーズ(この場合はこれでいいでしょう?)が悪いんじゃない、抑揚の付け方に問題があるんだ。(適当な訳)

 80年代以後のEddie のアルバムからは、次第に毒気が薄れていったように思います。アルバムの発表は相変わらずでしたが、よりアコースティックなジャズ寄りの傾向を強め、電気サックスもあまり聴かれなくなりました。分りやすく言えば、元「変な人」になってしまったかのようでした。Kenny Barronのトリオとの共演盤「Echo Of Harlem」(90)では上にあげたように、1人でやっているものが一番よかったりもしました。Yeah You Right」(92)で、昔ながらのFunk Tuneを演奏しています。しかし、リズムトラックにグルーブ感が乏しく、昔のようにはいかなかったようです。

 Eddie のファンだったというJohn Scofield は自己のバンドにEddieを招き「Hand Jive」(94)を発表しました。この試みは成功しているとは言い難いものであるように思います。Eddie とJohn Scofield の、グルーブ、ブルース感覚には大きな隔たりがあり、噛合わないままに終わっているようです。
「Last Concert」は96年3/14、Bernard Purdie(Ds) Dean Brownを含む、WDR Big Band のライブでした。Gil Goldstein(Conduct)Eddieとは長い付き合いのプロデューサー、Arif Mardin は一曲だけアレンジで参加しました。


 次の日スタジオに入ったGil Goldstein とEddie が、デュオでレコーディングしたBallad「You stole my heart」が、Eddie の録音した最後の曲になりました。

 興味を持ったあらゆることに挑戦し続け、おそらく誰よりも楽しんだであろうサックス奏者、Eddie Harris は1996年11月5日に(Les McCannのhomepage /Newsに拠れば11/4)亡くなりました。

2003年



to Player

 Biographyに関しては、幾つかのアルバムのライナーノートを参考にしました。譜面表記はサックスのパートはin Bb その他コードネームなどはin Cです。
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