5 猫が来た日(生き物のこと)
2000年の暮れ。稼業の先行きなどの不安を抱えつつも新年を迎えようとしていたのは例年通りの事。
明けて2001年元旦。
午前3時を回ったころ、近所の氷川神社に初詣に行こうと思い立ち家を出た。
いつもと変わらぬはずの夜の町の通りに、何故か清々しい冷気を感じながら神社に向かったのだ。元旦を迎えるほとんどの家が行なった筈の大掃除のイメージなどから来るように思える晴れやかさ。改心もそこここで行われ、お正月は誰もが心も新た、少なくとも元旦の朝は国中が善男善女で溢れる。
一瞬、いい人ばかりの国になっているはずで、前の年の色々なことが過去に変わる瞬間でもあり、忘年という言葉の意味を実感できるような空気が流れる。
大通りに出る角を曲がってすぐ呼び止められた。
目の前を横切りざまに「ニャアーッ」。
猫に呼び止められた経験などない。
「あれっ、何だ、おまえ」また「ニャアーッ」
何だろうと思いつつも速足で坂を下り、神社へ急いだ。50メートルぐらい離れた時、また坂の上から猫は「ニャアーッ」と叫んだ。どう対処していいものか分らず、とりあえず無意味に「おーい」と手など振ってみた。間抜けな所作とも言える。
そのまま鳥居をくぐり境内へ向かった。さすがに午前3時過ぎともなると人影はなく、赤く周りを照らすかがり火も一つだけ。
人込みで一杯の初詣は好きではない。若いころは何時間も並んで待たされた明治神宮にも行って、前にいた女の子の着ていた上着のフードの中に後から投げられた賽銭が何枚も入って行くのも見た。浅草寺では賽銭箱が近づくにつれ、自分の意志では動けない人の波に飲まれ怖い思いもした。命からがら外に吐き出される感じだった。人によっては、あの頑張っている様子が有難いのかも知れないのだが、ヘトヘトに疲れる初詣で一日が終わるのは妙な話だ。
さて、境内独占状態でお参りを済ませ、清々しさを尚一層高めた私は家へと急いだ。大通りから家に続く路地の角を曲がってすぐ、また呼び止める声。「ニャアー、ニャ」「あれ、お前まだいたのか?」「ニャアー」「どうしたんだ?」
声を掛けると、猫は照れ臭そうな仕草で近付いてきて、足にまとわりついてきた。
体をよじらせながら近付いてくる様子は確かに照れ臭そうに見えたし、まるで以前からの知り合いのようにも思えた。
猫事情通の友人に言わせると「そりゃあ、よっぽど気に入られたんですよ。猫は警戒心強いッスからね、普通は初対面でそんな事にはならないんですよ」という事になるらしい。猫など飼ったことのない僕は、とにかく甘えた声で鳴き続けるそいつを持ち上げてみた。嫌がる風でもないので、家に連れ帰って様子を見ることにしたのだ。
部屋に入っても猫は怯えるでもなく、洗面所で顔を洗って戻るとベッドの上でくつろいでいたほどだ。部屋の中に入れば焦って逃げ出すに違いないと思っていた僕は驚き、自動的に隣のコンビニに駆け込み、猫缶と牛乳を買っていた。
まあ、すぐ出ていくだろうと、通れる位に窓を少し開け、もしやの事を考え、トイレ代わりにと新聞紙をちぎったものを紙の箱に敷き詰めた。目覚めると、正座した猫はこちらを見上げていた。起きてくるのを待っていた様子だった。
出て行かなかったのだ。餌を与えながら「変な正月になったナア」と、仲間が増えたことを少し喜びつつ、自分の餌の準備。その日から、そいつとの同居生活が始まった。
唯一残った写真
僕の姉に言わせると「あんたは小さいときから動物好きだったからねェ」という事になるらしい。子供の頃、犬、猫は言うに及ばず、昆虫、魚、蜥蜴、蛇に至るまで、様々な生き物に溢れた環境で育った。
以前掲示板に書いたことのある蛙、セミ、蟹もそうだ。
秋の縁日の露店では幾度となくヒヨコを買った。冬を乗り越え、春を迎えるのは至難のことで、大概は何日かで死んだ。寒さが原因だというのが、もっぱら僕等の通説で、裸電球にタオルを巻き付けて暖をとる荒技で火事になったという噂も聞いた。
今のように暖房設備が豊かでもなく、大体人様が火鉢やら湯たんぽで寒さをしのいでいた時代だ。箱の中に出来うるかぎりの布を敷き詰め、何を食べさせていいか分らずヒヨコ草なるものとかを与え、見る見る弱っていくヒヨコを手に僕等は悲しんだ。せいぜい耳元で「がんばれ」と言うしかなかったのだ。
一度だけ春まで生き延びたやつがいた。もうピヨピヨとは言わず「コッ、コッ、」と、生意気な声で鳴いた。これは、なつくわけでも何でもなかったのだけど可愛かった。ある日学校から帰ると姿を消していた。猫に捕られたらしいと言うことで納得したが、大人たちの説明が曖昧で、彼等の都合で処分されたのではないかという疑惑がいつまでも残った。
小川で捕まえた大きなドジョウは自慢の戦果だった。
壊れた大きなやかんの中に泥を敷いて水を入れ、ドジョウ「はちべえの家」と言うことにして納屋の奥に置いた。一カ月近くは生き残っていた。学校から帰ると、まず挨拶をしなくてはならなかった。泥の中にもぐったそいつをつついて声を掛けたりした。どじょうにすれば迷惑なことだったに違いない。
これは間違いなく近所のどら猫にやられた。後年TV番組「水戸黄門」にハチベエなる人物が登場する度に、僕の頭の中ではドジョウが重なることにもなった。
縁日では何度かゼニガメとかみどり亀とかも買った。これは必ず逃げられた。洗面器などに入れる方も悪いのだけど、どう見ても小さいやつ等が逃げられるようには見えなかったのだ。同じ失敗を繰り返し、買わなくなった。
もしかして、あいつらは露店のオヤジに教育された優秀なカメ達だったのかも知れない。オヤジのところに帰ったわけだ。この事を同じような経験をしたという友人に話してみた。
友人の目は輝き、言った。
「そうそう、番号ついてたりしてね。おおっ、2号今回は遅かったな、ところで6号を見かけなかったか?あいつが3日も帰ってこないのはおかしい、、、、なんてね。」
蛇が姿を現すと、いつも一種独特のショックにおそわれた。誰かが発見して大きな声で叫ぶ。「あそこっ、あそこ」指差すほうを必死になって目で追った。怖いのだから見なければいいのに、何故か見なければ損と言う気になった。蛇の足は意外に速い。その速さがコソコソと悪巧みをしている姑息な奴にも見えて憎らしさにもなるらしい。何も悪いことはしていないのにだ。
蛇を捕まえて振り回して得意になる奴がいた。青大将を捕まえて尻尾を持って回した。凄いなどとは全く思わなかった。おぞましいだけだった。
迷惑だったのは、気絶しそうになりつつも「スゴイや」という顔でそいつの得意満面に応えなければならなかったことだ。みんなでそうしなければ、そいつは暗くなるまで蛇を振り回し続けたかも知れないのだ。
その頃、猫や犬が今と比べてどうだったかは分らない。しかし、TVで猫や犬の食べ物のCMがあることに隔世の感がある。昔はそんな特別なものはなく、犬も猫も人と同じものを食べていたはずだ。
姫路から佐賀に移り、授業中の小学校の教室で驚いたことがある。誰かが何かを言った途端、全員が校庭の方を向いたのだ。物々しい空気が流れ、教室内がざわめいた。先生も窓際に近付いた。
イヌコロシが現れたらしい。
犬殺しだと分るまで少し時間がかかった。野犬が多く、野犬狩りの彼等が必要な時代もあったのだろうけど、その頃は油断をすると飼い犬が捕まったりしたそうだ。誰の目にも怯えがあった。先に丸い金輪の付いた棒を手にした彼等は遠く小さく、地面からの熱気で歪んだ姿が記憶に焼き付いている。
猫は子供を生むと大変な目にあわされた。仔猫は捨て猫として置き去りにされた。 遊び仲間の家で飼っていた猫が出産した。親の「捨ててこい」の一言で捨てることになった。箱の中に生まれたばかりの子猫達は入れられ、川に流された。何人かの仲間が石を投げ始めた。あまりの残酷さにいたたまれず、僕は逃げるようにその場を後にした。近所のおばさんが言った。「しげちゃんネ、目が開く前に死んだほうがいいのよ」到底納得のいく話じゃなかった。
2001年正月。猫との生活は続いた。2日目に猫用トイレと砂を買ってきたのもどうかとは思う。爪も切ってあったようだから飼い猫であったことは間違いなく、だからと言って張り紙を見かけるでもなかった。
外に出してみれば家に帰ることを思い出すかもしれないと、一緒に出てみた。猫は嬉しそうに僕の周りを飛び跳ねた。一緒に散歩して喜んでいるふうに見えて、家に帰ることなど考えてもいない風だった。
それからは玄関近くに行くと必ず外に出ようと言い出した。あまり頻繁なのですっかり面倒臭くなって猫だけを出してみた。困って鳴いていたのも束の間、暫くするとベランダから戻ってきた。それは猫には大発見だったらしいのだけど、やはり一緒に出たいらしかった。
6日にはレコーディング。7日には静岡でのFM番組の収録の仕事があって、譜面を書くのに追われていた。猫との生活に慣れない僕は苛立ち始めた。
6日の夜、遂にやってしまった。
「お前ネ、もう家に帰れ」と持ち上げた段ボール箱から猫を振り出してしまったのだ。乱暴にしたわけでもないが、猫は全てを察した目をして出て行った。
少し後悔もあったが、7日の朝は早い。
急いで残りの譜面を書き上げ、窓はストッパーで少し開けて寝た。朝、猫は戻っていなかった。あろう事か、外はみぞれ交じりの最悪の空模様だった。少しの後悔はとてつもなく深い後悔に変わった。申し訳ないことをしたと思った。あいつ、家に帰れたかな、もしかしてこの寒さで震えてんじゃないかと心配した。
やがて本格的な雪になった。
猫が通れるすき間をストッパーで開けたまま家を出た。猫は帰ってこなかった。
主のいないトイレが残り、少々寒い時もあったが、窓を少し開けて寝る日が幾日も続いた。
忘れたころに夢に出てきた。雪の日の後悔は何か罪滅ぼしでもしないと収まらないらしく、猫を飼えという強迫観念に変わった。ある日、全ての始まりだと思える神社に寄って「あんたにも責任があるように思うから、猫関係を何とかして下さい」と拝んでみた。猫好きの友人からは「この猫はどう?」という、いわゆるお見合い写真付きのメールが来たりした。
何だかこれだと思えないままに春になった。4月。最も望んだ様子でパスタが現れた。目の開いていない仔猫。石を投げられ沈められることもなく、上着のポケットの中でパスタは「ミーミー」と鳴いた。
ミルクを飲ませるのも大変だった。スポイトで飲ませようにも上手くはいかなかった。もしやと思い大型雑貨量販店に行った。子猫用の哺乳瓶があった。
ほぼ一カ月は3、4時間おきに飲ませなければならず、罪滅ぼしは眠いものだと思った。
哺乳瓶育児から一年以上経ったころ、ベランダに5匹の子猫が現れた。
神社に行って再び拝んだ。「もういいです。充分です」

この猫こそが神様だったのかもしれないと思ったりするのだ。


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